引き出し

 電話の向こうの声が慌てている。いつもの漢方薬の注文ではないからどうしたのかと思ったら、本人が貧血気味なことを近所の人も知っていて、今日何人か集まって世間話をしているときに、おせっかい好きな人が「貧血は放っておくと白血病になるから急いで病院にかかったほうがいい(実際は病院で貧血を指摘されている)」と言われたらしいのだ。そこで心配になり電話をくれたらしい。両者の成り立ちの違いを説明した後に「年寄は皆貧血じゃあ。骨粗しょう症だから血は作れん」と優しく説明したら喜んでいた。  病院の処方箋を持ってきた人が、薬をずっと飲んでいるのに下痢が止まらないと言った。「何か原因があるんじゃないの?」と尋ねると、「思い当たることはない」と言った。原因がないのに下痢が止まらないなんてありえないから僕は具体的に優しく尋ねた。「下痢の原因は、冷えか、ばい菌か、たたりじゃ。冷たい飲み物を飲んだり、果物を沢山食べたりしているのではないの?」と。すると「今年は柿が豊作で近所中からもらったから毎日一杯食べてる」と原因を思いついたみたいだ。「柿をやめたらすぐ止まるわ。税金の無駄遣いじゃあ」と優しく諭した。  昔の薬局は、こんな相談は日常茶飯事だった。僕の薬局はその当時のスタイルを残しているから、今でもやはり日常茶飯事なのだ。プリントアウトしてマニュアル通りに説明すれば税金からお金がもらえる調剤薬局では、なかなかこんな知識は付かないだろう。昔の薬局は責任を持って患者さんに対処する軽医療と言う分野があった。養生法などは独壇場だった。何をどう用心したり節制したら治るか、経験で手に取るように分かっていた。今は正確に調剤する能力や、副作用などの情報を伝える能力などが求められているから、僕にとっては異次元だ。僕はもうその分野には付いていけない。今では、僕の経験を頼ってくる人たち専用のたんすの引き出しのようなものだ。僕の薬局にはそれを上手く引き出す人たちが結構沢山いて、いつまでも僕を現役でいさせてくれる。