早起き

「早起きは三文の徳」ならぬ「早起きは三問の得」だった。 家を出た瞬間、東の空にそれはそれは美しい朝焼けが広がっていた。そのままフィルムに写すしかその感動は伝えられないだろう。ところが人生で一度もカメラを持ったことがない僕だから、感動を人に分けてあげることは出来ない。  テニスコートでいつものようにウォーキングを始めると、今度は西の空に満月が浮かんでいるのが見えた。東に朝焼け、西に満月、おまけに東寄りの高い空は、まるで金箔を貼られたような雲も広がっていた。これで「早起きは三問の得」なら誤字だ。三問は以下のようなことだ。  月が、視覚では完璧に近いような円だったので僕はふとひらめいた。「そうだ、どうして地球も太陽も月も、他の星も球なんだ。四角や三角や、いびつな形があってもいいじゃないか」と。この歳になって初めて芽生えた疑問だった。そして、いつものように20分テニスコートの中を巡回しながら考えた。高校生までは結構勉強していたから、いやしなくても誰だってわかることだが、重力のなせる業ということは想像がついた。ただそれだけのことで、何がどうなって星が生まれたかなどというレベルのことはまったく分からなかった。そして家に帰ってすぐパソコンを開き「星は何故丸い」とキーワードを入れてみると、親切な人たちの回答が一杯出てきた。そこで教えられた知識は勿論だが、こんな素朴な疑問にストレートに回答が出てくることにも驚いた。  実はもう一つ、ウォーキング中、浮かんだ思いがあった。頭上でカラスの鳴き声が聞こえるので、そちらのほうに目を向けてみると、はるか上空を数匹のカラスが飛んでいたのだ。カラスがあそこまで高く舞うのをあまり見たことがないから、いったい何の目的であんなに高いところを飛んでいるのだろうと思った。ひょっとしたら地を這う僕を上空から眺めているのだろうかと想像した。そして地を這う僕は、目の前の問題をこなすことだけで人生を送ってきた人間だと思った。はるかかなたに目標を設定して、それに向かって努力する人間ではなかったし、大志や欲望でモチベーションをいつも高めておく人間でもなかった。試験があるから勉強し、健康相談に来るから解決できるように努力し、ただただその繰り返しに人生のほとんどを費やしてきた。そしてそれなりに満足しているのだ。少なくとも不満はない。  それに加えて今の若者の環境はどうだ。富や福祉を老人に独占され、かつての僕以上に夢や目標を設定しにくくなっているのではないか。低賃金を余儀なくされ、牛や馬でもあるまいし、外国人と単純労働を競わされている。そうした彼らが、果たして少なくとも僕と同じくらい、出来ればもっと高レベルで人生を満足のうちに終えることが出来るのだろうか。いやいや人生を満足のうちに始めることができなかったのだから、なかなかそれは難しいだろう。それ見てごらん、生きがいとか、やりがいとか、理由の乏しい日常に零れる陽さえためらいがちではないか。