時速

 どうもかの国の女性は時速100メートルらしい。こんなことなら専門誌をもう一冊持って来ておけば良かったと後悔した。 そもそも朝6時に迎えに行くと言っているのに、待っていない。スタートから僕の計画は頓挫した。それでも途中の乗り換えや構内の移動などを急ぎ足でこなしたら何とか遅れは取り戻せた。  ところが目的地の一つである原爆ドーム前の電停に降りて、原爆ドームを目の当たりにした時から速度が急にダウンした。象徴的な建物に最初は驚いたようだったが、時速100メートルになったのは違う理由からだ。まあ、写すわ写すわ、写真を撮りまくるのだ。それも原爆ドームなどを撮りまくるのならいいが、自分たちをお互い撮りまくっているのだ。自分を自分のカメラで撮ってもらい、又友人と一緒にとってもらい、3人の組み合わせだから何通りになるのか知らないが、場所と人間とのかけ算みたいに撮りまくる。おまけに、日本人の馬鹿の一つ覚えのようにピースサインをするのではなく、まるで女優のようにポーズをいちいちとるから始末に悪い。1枚の写真を撮るのに結構時間がかかる。僕は鎖を外された飼い犬のように、少し先を歩いては振り返り、まだ1メートルも動いてないことにいらだつが、その心を微塵も出すわけには行かない。終始笑顔で接し、心ゆくまで想い出をフィルムに刻むのを見守った。  思えば僕は今まで一度もカメラというものを自分で持ったことがない。携帯電話も持ったことがないから、恐らく僕は一生カメラを持ったことがない希少な人間と言うことになる。フィルムに刻んだものをゆっくりと見直す、それは過去に思いを巡らす作業だから僕にはあり得ないことが分かっていることもあるが、自分でも思ったが、結構頭で印象を切り取っている。  それが証拠に、広島平和記念聖堂でかの国の人達だけのミサに参加させて貰った後宮島に行ったのだが、彼女たちの切ったシャッターの数より多く僕は思考を巡らせたと思う。休日、勉強会でもないのに県外にやってきて、同じ瀬戸内で、同じ自然の資源を持ちながらこんなに生かしているところと、牛窓みたいに生かし切れてないところの差や、解決方法などをずっと考えていた。 カメラや携帯電話を手に撮りまくっているのはかの国の女性だけだはない。観光名所を巡ったせいもあるが、日本人もその割合の高いこと。多くの人が同じものを持ち同じことをしている。老いも若きも携帯を被写体にかざしている。いつかその姿勢でハイル何とかなんて叫ぶことがないように祈っている。