第九

 当然大好きな第九だから、感動に浸りながら、なおかつ終わらないでくれと願いながら聴いていたのだが、途中からなんだか悔しくなってきた。良くは知らないが、ベートーベンがフランス革命に身を捧げる人達にエールを送って?作った曲だとしたら、今の日本でこそ唄われ、人々が勇気づけられ立ち上がるべきだと思ったのだ。 それなのに、まさに一緒に行ったかの国の若い女性が言うように聴き手は「おじいさんとおばあさんばかり」だった。全体を見渡せばなるほどその指摘は正しくて、時に若い人を見かけるというのが実情だった。もうほとんどすんだ人達がいくら煽られても力はない。まして老後をなんとかつつがなく暮らすことが出来ればそれでいいのだから、これからの若い人の苦難を想像したり、それを回避することに何ら思いも至らないし、まして手助けなんかもってのほかだ。 僕は合唱のボルテージが上がるに連れて、東に住む人達の無念を思った。何もかも奪われ、反撃するチャンスさえ見いだせない人達の吹き飛んだ自尊心を思った。何ら有効な武器を持たず、何ら有効な言葉を持たず、何ら有効な結合が果たせず、まるで何十年前と同じ、一部の年寄りが得る利益のために何百万人の若者が死んだ構図とまるで同じことを繰り返している。  巷ではマイクを持ってぬけぬけと、自分の臆病を隠すために勇ましい言葉が連呼されている。弱い犬ほどよく吠える。一歩退いてみれば透けて見える悪意が空を覆っている。僕らは精神の奴隷ではない。