緊張

 何十年も繰り返しているごくごくありふれた日常の風景なのに、その時僕は妙に緊張した。いつもならこちらの疑問をどんどん相手にぶつけて答を得ることが出来るのだが、その事が出来ない不自由さは、まるで武器を持たずに戦場に送られている兵士のように心細いものだった。自分の選択した答えが確率高く期待に応えることが出来るのだろうかとても不安だった。勿論医療は確率の仕事だから、70%も期待に応えることが出来たら大したものだと思うが、果たして武器を制限された中でそれが達成できるかとなると心細かった。  突然息子がバイト先から電話してきた。多くの病院で現代薬や、粉薬の漢方薬をやりきってなにも効果を感じなかった老婆が、、こともあろうに煎じ薬を所望してやってきたというのだ。そこで困ったのか、逆にしてやったりと思ったのか(もし経営者なら僕へのつてはないはずだから)僕に電話をしてきた。ただその時の患者の説明の仕方がまるで漢方の世界とは違う。専門用語を羅列してさて煎じ薬を考えてと言う簡単なものだった。勿論僕は舌を診たり、外国語かというような難解な言葉を用いての訳の分からない診断もどきをしたことがなくて、それは薬剤師がするべきではないと思っていることでもあるから、寧ろ専門家の診断を信じるから、それはそれでいいのだが、それにしても診断名以外にあまりにも情報が少なかった。いわば天守閣と言える病気以外の外堀に現代医学が注目しない傾向そのものだった。  僕の助言通りに処方せんを切って2週間飲んでもらったのだが、2週間経ってもその後の連絡がなかった。期待にこたえることが出来なかったのかと、患者さんにも息子にも申し訳ないと思っていたら、今日患者さんから電話があり、調子がよいので、それも主なる病気以外にも、低体温でクーラーの中にいることが出来なかったのに、今年の夏は平気でクーラーの中におれるって言うおまけ付きで、これからも飲ませて頂きたいとのことだった。 僕はそれこそ処方せんに従って煎じ薬を作ったという立場だけなのだが、わざわざ僕の所にも電話をしてきてくれた。患者さんが効果に驚いてくれたことと、息子が少しでも漢方薬の力を感じてくれれば僕は充分だ。確率、目標70%の世界で、初めての患者さんに効果が出て胸をなで下ろした1日だった。