表情

 恐らくその一瞬、不安と恐怖が頭をよぎったのだろう。明らかに顔が曇った。  それにしても僕の知り合いは幸運だと思った。こんなに有能で頑張りやさんを実務のトップに迎えることが出来たのだから。経営以外何の能力があるのだろうと思う人が、介護の分野に打って出れたのは恐らくこの女性の力量によるところが大きかったのだと思う。だからこの頑張りやさんの不調を治してやってくれと連絡してきたのだ。本人はもとより自分自身もそれで助かるのだ。  問診の最中にまだ若い彼女が「両親はもういないのです」と自分から言った。恐らく体温が低いことの話題になったときに、自分の免疫力も弱く、お母さんの病気の素質を受け継いでいるのではないだろうかという不安が頭をよぎったに違いない。だから一瞬にして表情が曇ったのだ。いくらスポーツウーマンでも、過労と緊張が続いているときに、ふと体力を落とすようなことがあると、心を病んでしまうことがある。幸い彼女はその手前で訪ねてきてくれたからそんなことは防げると思うが、頑張り屋さんしか落ちない落とし穴はある。  体調不良の縁しかないのが僕の職業のもう一つパッとしない原因だが、そのほとんどは本物の出会いだ。ほとんどの人に偽物がない。苦痛を抱えている人は全部を晒してくれる。演技がないのだ。そのせいで見たくないところも見えてしまうがそんな確率はいたって低い。ほとんどないと言ってもいい。その逆に、飾らない恐怖、勇気、希望、失望、優しさ、謙遜などが目の前に展開される。寧ろ休日に、薬局から外に出たときの方が嘘っぽいものに遭遇する。  あの一瞬の表情の曇りの中に彼女の日々の生活の様が反映されたように思った。懸命に生きている人だけが見せる深くてはかない表情だった。