もういいだろう。これなら自分でも納得がいく。それでも、もう少しもう少しと数ヶ月は頑張ったような気がする。  前回買ったのは10年前か15年前か、定かではないが、どちらにしても記憶は全くない。どこでどの様なものを買ったのか全く思い出せないのだ。今日で見切りをつけた靴は、息子が使わなくなったのを妻が見つけて持って帰ったものだ。それも学生時代のものだっただろうから、それだけでももう随分前だ。その靴でお払い箱になったのが自分で買った最後の靴だろうから、本当にいつ買ったのか見当がつかない。  僕はまず靴はバレーで使うものを買う。そしてそれが傷んできたら、道を歩くものとして使う。いわゆる普段履く靴はお古なわけだ。しかし、僕が靴を履くのは日曜日だけだから、そのお古がめっぽう長く持つ。学生時代みたいにかがとを折って履くようなこともしないから、傷みようがないのだ。強いて言えば雨の日に濡れるくらいがダメージと言えばダメージだろうか。何年かの歳月を経て、左足のかがとが無くなってきた。歩くたびに左足の靴だけが脱げるようになった。そこで踏ん切りをつけて今日靴屋さんに行ったのだ。  ハッキリ言って靴の買い方を忘れていた。見てくれは全く気にしないから、運動靴なら何でもいいが、自分の足のサイズが分からなかった。およそは分かるが、もう何年も前に買っただけだから、変化していることもあるのではないかと思った。店員さんに足のサイズを測るものはないですかと尋ねたら、子供のしかないと言われた。見ると確かに22cmまでだった。それではどうしてサイズを合わせればいいのと思ったが、その時に靴って実際に足を入れてみてフィットするかどうか調べるんだったよなって思い出した。僕はひょっとしたらサイズが合わなくて、買わないものまでに自分の足を入れることを躊躇っていて、「実際に履いて確かめる」と言うことを正直忘れていた。なんだそうだったのかと時計の針を嘗ての常識の時間まで戻した。でもよく考えて見れば、僕が買う靴も多くの人が実際に足を入れて履き心地を試したものかも知れない。その中には水虫の人もいただろうにと潔癖症が顔をのぞける。水虫だけならまだいいが、中には銭の虫や疳の虫、しゃくに障るが勉強の虫までいたかもしれない。いやいやそんなことを考えたら買えなくなる。それよりも今夜は枕元に買ってきたばかりの靴を並べて寝よう。