転落

 同じ日に3人が、ある男性を最近見かけなくなったと言った。実は僕も同じことを思っていた。又あそこへ入ってしまったのかと思っていたら、その中のある女性は「入院でもしているのではないの」と言った。そう言われれば健康によいことなど微塵も行っていないから、入院はありうるなと思った。皮肉なことに入院の方がまだあそこよりは喜ばしい。 ところが今日妻が薬を配達してあげたところで、入院ではなく、そこに再び入っていることを聞いた。その男とどんな関係があるのだろうと言うようなお家だから、恐らくもう町の人はかなり知っているのだ。何も話題がない町だから、そんな話題は殊更喜ばれる。それも凶悪ではないから、又その男が結構重宝されていたから余計なのだ。  もうそこには帰って欲しくなかったから、僕はことある毎に話すようにしていた。僕が酒を飲まないから酒を振る舞うことは出来ないが、彼の好きなコーヒーと音楽なら幾分かは振る舞える。多くの人が帰ってきた彼を避けている中で、僕は逆に招き入れた。有名な彼が僕の薬局でコーヒーを飲んでいる姿を、他の人はどう見てたのかは分からないが、僕は堂々と彼をもてなし、彼は隠れるようにコーヒーを飲んだ。スポーツを30年一緒に楽しみ、何万回も僕を笑わせてくれた。僕を笑わせてくれて、緊張をとってくれる数少ない人なのだ。緊張の多い働き盛りの30年間の健康は彼にもたらされている部分も大きかった。1週間の過緊張を2時間の過激な運動と過激な笑いでとってもらった。彼が行き着くところまで行き着く前までは本当に楽しい歳月だった。  酒と博打は僕には分からない。全てを失うほど魅力的なのだろう。いや全てを失ってからもまだ失うほど魅力的なのだろう。病気と揶揄されるくらい魅力的なのだろう。家庭も、友人も、仕事も、信頼も、どれもこの二つのものには勝てないのだろう。  酒代を博打代をあげるわけにはいかない。お金で救うわけにはいかないが、あげていれば余計のめり込んだだろう。ブレーキがない性格に効果があるのは何なのだろう。僕にはその答えはない。友情も常識も運動も音楽も宗教もことごとく討ち死にした。立ち向かう武器はない。今度出てきても又同じスタンスで付き合うしかないだろう。そしてまたまたあそこへ帰っていくのだろう。そのうち居心地がこちらより良くなって、あちらの住人になってしまうような気がする。人を何万回も笑わせて、そのあげく笑いものになる。転落、転げ落ちるとは良く言ったものだ。