火傷

 慣れないことなどするものではない。誰もじっと太陽を見た人はいないのだ。今昇って来ている太陽を見るとそれがご来光なのかと、余計な考えが頭をよぎったばっかりに意識して東の空を見た。前島の尾根の上をすでに十分照らしているから、雲が少しだけ途切れれば太陽が現れると思った。正月と言えどもいつもと何ら変わりない習慣で、テニスコートを周回していたときのことだ。  どのくらいの時間、雲の切れ目から覗いた太陽を見たのだろう。1秒か2秒だと思うが、その後瞬きをする度に、真っ黒な闇の中に先ほど見た太陽が鮮やかなオレンジ色で瞼に浮かぶ。 それも雲で遮られたとおり、3つに分かれて瞼に浮かぶ。さっきまでは一つのまぶしい光でしかなかったのに、ちゃんと雲で細分化されたのを鮮明に網膜は残してくれていた。瞼を閉じればオレンジ色の小さな光が、目を開けて歩くと今度は黒い陰になって土の上に見える。勿論形も大きさも同じだ。ああ、僕はあの一瞬太陽によって網膜か何処かが火傷をしたんだと思った。太陽を正視することなどないから、この様な経験はない。いずれ回復するだろうと思いながら歩いていたが、意外と長い時間かかって消えていってくれた。医学的な説明は出来ないが、まるで子供のような軽率さに呆れた。  長いこと生きていれば数多の残像に悩まされる。消し去りたいこともいっぱいある。たかがしれている人間が、たかがしれている数多の不出来を今更悩む必要はないと思いながらも、時として蘇る。楽しかったことなどほとんど覚えていない。至らなかったこと、恥ずかしいような行動ばかりが再生する。一時の網膜の火傷なら回復するが、脳に擦り込まれた火傷は一生残る。