線引き

 冷たい空気に身を切られるのを我慢してテニスコートを周回していると、そのうち体温を感じられるようになる。筋肉が発熱を始めたこともあるが、太陽が東、それは前島の上なのだが、から上ってくることも大きな理由だ。うすい雲に覆われても太陽自体は鮮やかな橙色をして、膨張色ゆえだろうか巨大な円に見える。そして先ほどのうすい雲の間隙を縫って、太陽から放たれた光は放射線状に広がる。かつて、散々外国を侵略した国の旗もこうした光景を見た人間のデザインではないかと思った。まるでそっくりだった。  ここで思いを新たにしなければと思っても、残念ながら12月31日だ。思いを新たにしても1日しか有効期限は無い。まるで元旦の初日の出にはうってつけだと思っても、大晦日ではしゃれにならない。明日にキープしようかと思っていたら、やはりキープしておけばよかったと今日思った。  今日の前島の上は、まるでバックに山脈がそびえているのかと思わせるほど、濃いねずみ色をした雲が横たわっていた。だからその雲をよじ登ってからしか顔を出せない太陽が、ずいぶんと時間をかけて昇ってきた。ただその頃にはもうこちらの気持ちも萎えてしまって、何かを願ったり、拝んだりする気力は失せていた。ただ単に、昨日よりはるかに見劣りのする太陽だった。  僕は最近気が付いた。この年齢になると希望などと言うものはなくなるんだと。野心などと言う単語はもう何十年も前に辞書から消えているが、いや、もとから載っていなかったかもしれないが、希望と言う単語ですら見つけることが難しくなっている。あるのは、希望と言うにはおこがましい些細なものばかりだ。だから年が変わって見る太陽にありがたみは無い。動植物を生かしてくれている恵みには感謝するが、手をあわせるほどに神格化はできない。歳時記よろしく勝手に線引きをされた太陽に責任は無い。