判官贔屓

 かっこよく言うなら「またかよ」岡山弁なら「またかあ」  外資系に買収された会社の薬がどんどん製造中止になっている。僕は昔から判官贔屓だから製薬会社でもいちばん大きい会社のものは基本的には推奨しなかった。2番手3番手あたりに力を入れていた。理由はやはり追いつけ追い越せで頑張っているセールスの懸命の姿勢が伝わってくるからだ。企業の業績にあぐらをかいているセールスに魅力を感じなかった。劣等生だった自分の姿に重ねていたのかもしれないが。  その力を入れていた会社の目薬の在庫が切れたから注文したら、製造を中止しましたと若い女性がいともそっけなく教えてくれた。何か余分の言葉くらいあってもよさそうだが、外資系の会社の風土宜しく社員までもがドライだった。ドライはビールかクリーニングだけにしてと思うが、僕の関係する会社までがそうなってきた。  目薬のヘビーユーザーの僕も気に入っていつも使っていたのだが、これでまた新しいお気に入りを捜さなければならない。あの目薬はこれでもうお気に入り削除だ。ワンクリックで全てが削除されるように、商取引さえもワンクリックだ。人情の入り込む余地などほとんどない。以前はセールスとくだらないお喋りを挟んで色々な情報を教えてもらっていたが、今は綺麗に印刷された紙切れか、画面の上だ。まさに生きた体の中に入れるものが、無機質な表現で伝わり、無機質に消えていく。せめて人の温かい、愚鈍な作業を経て体の中に送り込めたらと思う。 薬の世界で起こっていることは他の世界でもきっと起こっている。置き去りにされた愚鈍がますます恋しくなる。