圧巻

 キャリーバッグをひきながら薬局に入ってきた姿は旅慣れた青年のように見えた。嘗て電話の声だけで想像していた女性像よりはるかにたくましく思えた。打ちひしがれた声しか聞いていなかったから安堵した。 北海道から訪ねてきてくれた人は初めてだ。今まで東京あたりからは何人かいたが、一気に距離が伸びた。2泊3日させてくださいと最初から予定を聞いていたから、ゆっくりと症状の把握も出来るし、ずいぶんと良くなって仕上げ段階かなとも思っていたので、背中を押すいいチャンスを与えられたとも思っていた。 勝手な先入観を裏切る話し好きの、話し上手な女性だった。おまけに職業柄か本来的か分からないが、若いのになかなか気配りも出来る女性だった。決して体育会系ではないが、鬱々とした話題はなく、焦らずに青春まっただ中を歩んでいるように見えた。さすがに過敏性腸症候群で寄り道はしたが、それだからこそ見つけられたものにちゃんと人生の舵を切っていた。失ったものよりもずいぶんと多くを取り戻しているように見えた。圧巻は、短期ではあるが、アメリカ留学を労働を提供することによって無償で実現させたことだろうか。留学期間中の生活ぶりを詳しく教えてくれたが、それこそ青春そのものだった。敷かれたレールから落ちたところが必ずしもはい上がれない底なし沼ではない。それこそアメリカ人のように、自由に生きていく土壌さえ与えられれば、多くの人が以前より、より高いところに這い上がり辿り着くことがある。彼女曰く、アメリカ人にとって見ればそれはごくありふれた日常だから、チャンスを失ったと嘆く土壌はないのだ。   この国で、単一民族だからこその同一性を求められる圧迫感は、時として体調にまで影響を及ぼし、過敏性腸症候群などという言われなき不調を押しつけられるが、それこそが社会の病巣だと理解すれば、面と向き合うほどの価値もない。僕が何時も言うようにまるで冗談のように、彼女が経験したアメリカ人の乗りのように治せばいいのだ。  彼女は自分で煎じ薬を作った。色々な薬草の香りをかぎながら、しっかりと次なる目標実現のために作った。遠くの空の下で若者の能力を信じて、若者に自分自身の枯渇した可能性を託して、しこしこと煎じ薬を作っている田舎薬剤師の光景を覚えておいて欲しい。例え、福山雅治に似ていないことがばれたとしても。