垂直

 カルテを見てみると3年半の付き合いになる。最後のほうは、半月分送れば1ヶ月も2ヶ月も薬がもっていたから、実質はそれほどでもないのかもしれない。しかし、結構長い間お付き合いをしていたことになる。彼女は最初に電話をくれた時、ほとんど泣いてばかりで、こちらが聞きたいことを引き出すのに苦労したことを鮮明に覚えている。それだからこそ、なんとしても完治のお手伝いをしたかった。  思春期からの過敏性腸症候群は、家庭を持ってからも治らず、家庭に引きこもっていたように記憶している。2週間に1回、必ず電話で漢方薬の注文を受け、その機会を利用して色々な話をした。彼女が日常遭遇する漏れ体験をいちいち2人で考えた。不可能だと諦めていた日常のありふれた行動にも少しずつ挑戦出来た。  大きく飛躍したのはやはり彼女が外に仕事を求めて出ていったことだろう。不安を抱えながらでも彼女は社会の一員にデビューした。チャンスから逃げなかった。職場での不快な感覚に苦しみながらも、彼女は僕との電話でその都度解決を図ってきた。メールでのやり取りとは比べ物にならないくらいの膨大な言葉を交わしながら解決した。メールが得意ではないと言うアナログが幸いしたのかもしれない。  僕と会ったら改善しているのが逆戻りすると言う彼女特有のジンクスでついに会うことはなかったが、目が釣りあがっていると言う自己紹介と電話での気の弱そうな話ぶりとのギャップをついに確かめることが出来なかった。相談を受けた時は30代だったが、今は40代になっている。お子さんの大学進学や高校進学など色々な話をした。受話器を受ければすぐ顔以外全て浮かんでくる、近所の人より寧ろ親しいような方との、待ち焦がれていた「お別れの電話」が今日あった。この為に頑張ったのだと、すがすがしい喜ぶべき別れの電話だった。  長い時間をかけてしかお手伝いできなかったが、彼女には最後の1年は実は更年期障害漢方薬を送っていたのだ。僕には分かっていた。彼女のお腹が全く異常がないことを。勿論彼女にもその処方変更は伝えた。過敏性腸症候群の薬なんてないのだ。その方の過敏性腸症候群が治る薬が過敏性腸症候群の薬なのだ。これからは、栄町ヤマト薬局があるだけで安心しておれるといっていた。でも果たしてどれだけ目が釣りあがっているか見れなかったのは非常に残念だ。まさか垂直までは行かないだろうが。