懇願

 何の権限も及ばない、何の権利もないところで起きたことだから、歯がゆくて情けない。誰も勿論悪いことはない。仕方がないことだとは分かっているが、ただただ悲しい。 1分でもいいから最後に僕と妻に会わせてくださいと懇願したらしい。僕のことをお父さんと呼び、妻のことをお母さんと呼ぶ若い女性が急遽手の届かないところに帰っていった。やむにやまれぬ事情があるのだろうが、たどたどしい日本語で書かれた短い手紙はそのことには触れていなかった。  多くの笑顔とほんの少しばかりの寂しげな表情を僕の中に残した。この国の何十年か後を追いかけている、すなわち、この国が捨てたものをまだ持っていると言うことだ。その捨てたものの大きさを、身振り手ぶりで会話するときに気づかされる。  出来ればいつか呼び寄せてあげたいと思う。日本で勉強したいとしきりに言っていた。あの年齢の頃、僕がそんなことを考えていただろうか。勉強が出来る環境を与えられながら、朝から晩までパチンコのバネを弾いていたのではないか。誰に対する罪滅ぼしではない、自分自身のあの頃に対しての罪滅ぼしなのだ。僕の出来ることでほんの少しだけ世の中にお返しをするしかないのだ。経済も肉体も勿論頭脳もないが、それでもなお出来ることはある。出来ないことの大きさにひるむのではなく、小さな出来ることを実行するに限る。  別れの挨拶も出来ずに辛かっただろうなと思う。どのくらいの涙を流したのだろう。それとも弱みを見せまいと笑顔でも作ったのだろうか。突然届けられた手紙に昨日まで覚えた文法の痕跡はなかった。