穏便

 3月に、福島の原子力発電所の水素爆発があってから今日初めて、学校薬剤師会で放射能についての講演会があった。「正しく怖がるために」と言うタイトルで分かるように、余り怖がらないでという裏タイトルが透けて見える。怖がれば怖がるほど国や東電の賠償額は上がるし、下手をしたら刑事訴追されるだろうから、何事も穏便にが都合がいい。講師を務めてくれた大学教授は放射線が専門で、素人の薬剤師達に分かりやすく初歩の知識を教えてくれたが、知識以外の思いは伝わってこなかった。だからどうしろって言うのと質問してみたかったが、だから何もしないと促されているような雰囲気にその言葉は飲んだ。薬の副作用の専門家を標榜している薬剤師なら、そんなものよりはるかに恐ろしく、誰にでも襲ってくる危害に鈍感であるはずがない。薬局の店頭や学校や地域ですでに啓蒙しているはずだ・・・と信じたい。しかし恐らく、調剤報酬を時の権力に上げてもらうことしか考えてこなかった薬剤師会にそんな気概はない。おこぼれ頂戴を延々と繰り返して原発を推進してきた政党を支持し続けてきたのだから、間接的な共犯者だ。どの業界も同じことだが。  僕の質問に答えづらかったところもあるが、ふと漏らした本音の部分に先生の気持ちは表れていた。先生が先頭に立ってくださいとエールを送ったのは、今度のことで一気に胡散臭さの仲間入りをした学者達への皮肉なのだ。見えない、匂わない、触れない、感じることが出来ない相手に知性は無力だ。素人の肌で感じる感受性に嘗て優ったものはない。子を守る母親の恐怖以上の正しさはない。