気配

 若い時からずっとこんな性格だったら良かったのにと、帰っていく後ろ姿を見ながらつくづく思った。 大きな病院をハシゴして結局何処でも異常なしの診断だった。当然薬も出ない。本来なら異常なしと言われると胸をなで下ろして喜び勇んで帰ってくればいいのだが、病名がつかないのはより不安になる場合もあるらしい。と言うのは自覚症状が結構激しくて、今まで出来ていたことがかなりの分野で出来なくなったらしい。敢えて挑戦するとすぐ息が切れて横にならざるを得ない。横になれば少しは回復するのだが、再挑戦はほとんどの場合出来ないらしい。老いても尚、習い事を多くし活動的だった面影はない。  本来なら今日みたいに深々と頭を下げて礼を言って帰るような人ではなかった。この2ヶ月、1週間毎に漢方薬を取りに来て、不安を口から吐き出し、ずいぶんと楽になって帰っていく。最初に訪ねてきたときから言うともうほとんどゴールに手が届きそうならしいが、嘗てなら考えられなかった頭の低さはまだ継続している。出来れば今の不調が完治しても尚、その年齢で初めて身につけた感謝とか謙遜とかを忘れないで欲しい。  余りにも人生が上手くいくと、この分野のことを学ぶ機会に恵まれない。上手くいっている人は本人の努力や偶然の幸運で責められる理由はないかもしれないが、この分野のことは本で読んだり人に諭されたりしてもなかなか本来的には身に付かない。偶然襲ってきた不幸を、誰かの助力で乗り切った時、初めて分かるものかも知れない。陰と陽の両方を持っていないと人間としても不自然だ。陰ばかりも哀れだが、陽ばかりで自分が気がつかないのはもっと哀れだ。  夜のうちにそっと忍び込む秋の気配のように、充実しすぎないのも自然の教えるところ