気楽

 単純に驚いているのか、間接的に少しは褒めてくれているのか分からないが、職業柄沢山の薬局を、それも漢方薬を扱っている薬局を見ているはずだから、その反応は僕には役に立つ。 昨日、漢方問屋の専務さんが薬局に来て雑談しているときのこと、ある感慨を口に出した。「先生の所は変わっているんですよね、地元の人が漢方薬を取りに来るんですよね」と。素人の人が聞いていたら矛盾している内容に聞こえるだろうが、僕はすぐにピンと来た。「岡山の薬局には倉敷市の方から、倉敷の薬局には岡山市の方からお客さんが来るんですよね」と続けたあたりで確信を得た。皆さん漢方薬を極めると、カリスマ薬剤師になって遠くから患者を集めたがる・・・と言えば格好いいが、近所の人には見透かされているのだ。どの程度の大学を出て、どの程度の道徳心をもって、どの程度人に尽くしているか、全部知っているのだ。だから地元の人はまず尊敬しない。それどころか下手をしたら軽蔑さえしているだろう。だから素性を知られないところでしか市場を開拓できないのだ。カリスマを演じて法外な値段にすればするほどカリスマになる。どの業界でも同じではないか。胡散臭さと紙一重だ。  僕は漢方の勉強をはじめたときから、正直に患者さんに訴え「頼むから飲んでみて」から始めた。人の良い地元の人は、勇気があるのか僕の覚えたての漢方薬を文句を言いながら飲んでくれた。「騙されたと思って飲んでやるわ」と何回言われたことだろう。僕も「騙したつもりで飲ませてやるわ」と売り言葉に買い言葉で鍛えられた。そうして効く処方だけをノートに残してきた。小さな町だから嘘はつけない。金持ちがいないから庶民が飲める金額、長く飲んで効くなどと処方に自信がない言葉は使わないなどと自制してきた。謙遜は僕の漢方の先生から知識と一緒に授かったものだ。  地元の人に3日分や1週間分の漢方薬を作りその結果を教えてもらう。そんな作業の繰り返しが地元の人が来てくれる珍しい薬局にしてくれたのだろうか。カリスマをいくら演じても、生まれたときから知っている人達の町で、「あのあきちゃん」がいくら頑張ってもしれている。僕は徹底してあのあきちゃんのままだったし、これからもそれでいく。等身大ほど誠実で気楽なものはない。