一声

 本来的な性格か、このトラブルのせいかわからないが、いつも電話の声は暗い。ところが今回は違いがわかるほど明るかった。僕の口癖で「どう?」と毎回調子を尋ねるのだけれど、いつもの様な口ごもりが無かった。珍しいなと思っていると、今度の派遣先の仕事がやっとと言っていいくらい何となく合っていそうなのだ。今まで勤務先が変わる毎に、人間関係で躓いて職場を去らなければならなかったのだが、それは人間関係の煩雑さを超える魅力が職種になかったと言うことの裏返しでもある。人間関係なんて所詮不具合の方が正常なのだから、多くの人は仕事に魅力を感じて乗り越える。彼女も又その都度人間関係を口にはしてきたが実際には働くモチベーションが保てなかったのだ。 過敏性腸症候群のあるパターンを形成しているグループがある。それは進学校に合格し、あげくついていけずに脱落したと言うものだ。それと共にお腹が調子を崩していって、ガス漏れ症状や、腹痛、下痢などで困ったと言うものだ。彼女が今まで経験してきた職種は嘗ての栄光からしたら耐え難いものだったかもしれない。職種を聞くたびに、遠くで暮らす僕までが抵抗を感じた。今回は薬品か何かの分析をするとか言っていた。じっと留まってする仕事でないのも気が楽なのかも知れないが、薬品とか分析とか言う言葉が会話に出てくれば知的な感じになる。彼女自身もそう感じて仕事に熱中しいらぬ事を考えなくなったのかもしれない。症状も改善し、人の目が気になりにくくなったと言っていた。職場の仲間を「いい人」と「悪意がある人」の区別も今回はなかった。  若い人に教訓めいたことなど言いたくもないから、助言らしきものはほとんどしてこなかったが、収まるべき所に収まるのをまって、それを一緒に喜べるくらいの関係がいいのかもしれない。彼女も又最初の一声で誰だかわかる人の中の一人なのだ。