信用

「一体何年僕の漢方薬を飲んでいるの?」と思わず僕の方が聞いた。信用するにも程がある。過敏な心と内臓を治していたはずなのに、心だけ治りすぎたのかと一瞬思った。仕事関係であまりに落ち込んでいたから、「帰りの電車賃だけ持って牛窓に遊びにおいで」と誘うと、「先生の所は遠いんでしょう、四国でしたよね。海を渡るのはちょっと・・・」と迷っていた。と言うより、富山県からは遠すぎるという言外の言葉か鮮明に聞こえてきた。「何が海をわたるの、僕は本州じゃ」四国の人には悪いが僕も言外で本州の根拠のない優越性を主張している。  もったいない、もったいないをいくら連発しても足らない。考えすぎ病や思い込み病の多くの方は意外と健康だから、過去を翻すことが出来れば必ず治る。その為に僕は肝っ玉を強くしたり、超えられない壁を超えることが出来る漢方薬を作っているのだが、どうも思い込みとの戦いみたいだ。その思い込みをどうしても断ち切りたくて誘ったのだが、このおおらかさはどうだ。もう治っているのかと、いやいや元から漢方薬なんか必要ないのではないかと思わせるほどの無頓着ぶりだ。この姿勢が自分の体調不良に向かってくれればあっという間に完治する。  北陸の人にとっては、岡山も四国も同じようなものなのかもしれない。瀬戸内海に面していれば同じに見えるのかもしれない。ただ彼女は必ず電話で症状を教えてくれ注文するタイプだから、僕の華麗な岡山弁で気がつきそうなものだが。それとも流ちょうな「あのさあ、あのさあ」で混乱したかな。  繊細とおおらかを上手くバランスさせながら暮らしていけると、みんなとても素敵な人なんだけれどなあと、瀬戸大橋の真ん中あたりでため息を一つついてみようか。