遺伝子

 最初母に向かって言った時は何も思わなかったが、僕に同じ言葉を出した時は、こういう癖があるのだと分かった。悪意は全くなく、お喋り好きの遺伝子を備えているだけと言うのは良く分かる。 一周忌を迎える僕の叔母の姉妹だから母とは何になるのだろう。ただ訳の分からない親類関係で便利な言葉を昔の人は見つけていて、年上の女性に対して「お姉さん」と呼ぶ。法事に連れて行って上がり込むとすぐにその女性が母を見つけて、と言うより母が誰かを従姉妹に尋ねてから、開口一番「お姉さんも歳をとったなあ」と言った。90歳を過ぎている人に向かってわざわざ歳をとったと言う言葉を使うのに聞いていて違和感を覚えた。見て分かるとおり歳は立派にとっている。その事は分かりすぎるほど分かる。富士山に向かって山、太平洋に向かって海、白鷺に向かって鳥、僕に向かって福山雅治と言っているくらい当たり前すぎる表現だ。何か他の挨拶でも考えればいいのにと思うが、単刀直入が素直に置き換わっているのかもしれない。だから違和感はあったが不快感はなかった。  その後すぐに僕に向かって同じ言葉を発した。もっとも僕が誰か確信が持てなかったみたいで、僕に対してもかなり念を押して「薬大に行った人でしょう?岐阜の。やっぱりそうか、歳をとったなあ」と言った。言われるように僕も歳をとったが、さてこの女性を僕は全く覚えていなくて、いつから会っていないのだろうと気になった。いつの僕に比べて歳をとったと感慨深そうに言ったのだろうと思った。「僕はいつお会いしましたっけ」と尋ねてみた。「覚えていないの?そりゃまあ、小さかったから無理かもしれんわね、幼稚園に行く前だったから」  的を射すぎて返す言葉もなかった。でもこの種の悪意のない言葉はこたえない。それよりも理路整然とした凶器のような言葉に身構える。隙を一杯出してくつろげる関係に時計の針も居眠りする。