ケーブルカー

 旅館で同室になった30過ぎの男性と一緒に試験会場に向かった。試験会場は豪華なホテルだった。入り口の所で筆記用具を忘れていることに気がついた。ホテルのボーイに尋ねると近所に文房具店があると教えてくれた。確かにほとんど隣り合わせくらいにひなびた文房具店があった。ところが目に付いたのは薄汚れた鉛筆が、使いさしの鉛筆と一緒にコップの中に無造作に立てられたものだった。これが商品かと思ったが、出てきた中年男性の店主は、それを僕に売りつけようとした。試験に鉛筆を忘れたことを説明すると店主は2本で2500円だと答えた。メチャクチャ高いけれど試験に間に合わないから僕はその値段で買ってホテルの会場に急いだ。会場について整然と並べられた椅子に腰をかけながら、しきりに思った。人の弱みにつけ込んでなんて商売をするんだと、また何で僕は今日薬科大学の入学試験を受けているんだと。そこで毎度のお決まりの悪夢から目が覚めた。 体調が悪いかストレスがたまっているときは必ずこの夢を見る。そしてうなされる。余程あの頃がいやだったのだろう、それ以外の悪夢なんて見ない。しばしば見るのは体調も心調も万全の日なんてないからだろう。いつからかこんな身体やこんな心調やこんな日常になってしまった。安楽な日々なんて思えば子供の時以来なかったのではないか。特別生産性に富んだ仕事や趣味は持てなかったけれどいつも何かをこなすだけで精一杯だった。目の前に降りてくるテーマをこなすだけで、羅針盤などいらなかった。何処に行くかなんて自分では決めることが出来なかったのだから。ただ流れに従って下流に向かっていただけだ。  人生の頂点がどの辺りに来るのか分からない。人それぞれだろうが僕に関して言えば頂点などなかったみたいだ。牛窓から眺める四国の屋島の如く頂上は低くダラダラといつまでも続いている。転落しても怪我もしないようななだらかな尾根をもう恐らく下っているのだろう。息切れすることもなかった上り坂、気がつかない下り坂、どうせならケーブルカーで安直な登山をすれば良かったと、惜しむものを何も持っていない今の僕は思う。