歯車

 運送業者の青年が偶然僕の薬局に荷物を運んできた。本来はデスクワークの人らしいが、休日でピンチヒッターだったのだろうか。荷物を置くなり話は変わりますがと、おもむろに自分の不調を訴えた。10年来、お腹の張りと、胸のつかえ、息苦しさで苦しんでいるという。具体的に症状を聞いて僕には手に取るように彼の苦痛が分かったし、処方もすぐに浮かんだ。しかし彼はこの症状でもう10年苦しんでいる。当然病院にもかかっている。見るからに好青年なのだが、病院からもらったのは下剤と、安定剤だ。どの病院にかかってもウツと言われ、その種の薬しかくれないらしい。「僕は自分でウツではないと思っているんです」と答える彼は如何にも聡明そうで真面目そうだ。彼が自覚しているようにウツなどには全く見えない。食欲も睡眠も充分だ。笑顔も自然に出る。体力もあるのだろう、毎晩11時まで会社で働いているといっていた。ただこの症状だけが乗り越えられない壁になっていて、彼の歯がゆさだけは確かに言葉や表情に出る。ただ、どうしてこの症状を抗ウツ薬や安定剤で対処しようとするのだろう。もう5年も毎日安定剤を飲んでいてこれではだめだと思うんですと言う彼の不安はもっともだし、彼の方が寧ろ治療者より状態を把握しているのではないか。あなたが困っている症状は過敏性腸症候群というのだよと教えると、初耳らしくて驚いていた。10年の間真摯に向き合ってくれる医師がいたらこんなに困ってはいなかっただろうと思ってしまう。あれだけ勉強して医師になった人達がどうしてこのような青年を思いやらないのだろうかと不思議だ。死ぬ病気ではないからどうしても淡泊になってしまうのだろうか。製薬会社の出張所みたいな病院では、患者は消費者でしかない。 彼が仕事中だから立ち話で今日は終わったが、縁があれば僕に治すチャンスをくれるだろう。「僕はすぐ何でも気になってしまうんです」過敏性と言う言葉を聞いて納得していたが、このような青年の頑張りでこの国は労働力不足をごまかしている。とことん追いつめて、壊れればまるで部品を交換するように取り替える。頑張りすぎ病だと彼に言うと「頑張らなければ生活できないんです」と答えたがもっともだ。僕も彼も1億の歯車の中の一つでしかない。ほとんど何にも影響を与えられないし、一つや二つ欠けても社会は動く。現代の若者は油も差されない歯車だ。撲はもう錆びているが彼はまだ輝いている。赤絨毯の紳士淑女達には彼らの苦痛に充ちた輝きは分かるまい。