出口

○○さんへ  片側3車線の広い道路で渋滞に巻き込まれていた僕らの車を、さっそうと抜いていったスポーティーな自転車の長身の男性がいました。その男性が振り向いて、僕の車の後ろをついてきていた娘夫婦の方に向かって手を振りました。反対車線の歩道を同じ進行方向に向かって走っていた自転車だから、後ろ姿しか最初見えずに、気持ちよさそうに走っている青年だなあと言う印象を持って何気なく見ていました。振り向いた男性は息子でした。こちらは渋滞していますからどんどん視界から消えていきましたが、あの格好や、あの笑顔を僕はいったい何年ぶりに見たのだろうと思いました。  彼の職業柄滅多に会えない、会えば携帯電話ばかりがかかってきて気もそぞろ、落ち着いて話せる雰囲気など全くありません。こちらは気を利かせて、1時間でも眠らせてやろうとそそくさとおいとまします。こうした状態をもう10年以上続けています。僕は、今では子供達を社会の為に育てたと思っています。ほんの少しでもいいから社会のお役に立てればいいと思っています。僕らにとって都合の良い息子ではありません。しばしば訪ねてきて、語らい、一緒に食事をするなんて事はまずありませんから。自分の家庭を大切にしているとは思いますが、僕らの家庭ではありません。そう完全に自立しているのです。いや独立と言った方が適しているかもしれません。僕らに何かをしてくれることは期待していませんが、人の役に立つと言うことは期待しています。それだけでいいのだと思うようにしています。それ以上は望まないことにしています。僕が自由に暮らしてきたように、彼も又自由に暮らすことが出来ます。親という権利を行使すれば、何もかもが解決する時代ではありません。普通の親は貴女のようにそっと陰で健康や幸せを祈るしかできないのでしょうね。最早、子育ての過去の成功例は役に立ちません。過去に習うほど時代が歩みを落としているようには見えませんから。急ぎ足で走り去る時代を懸命に、かつ闇雲に追いかけているだけです。正解のない問いが日々かせられます。息子さんと過去の僕は似ていると思います。なにもすることがなく怠惰に時間を消費していただけですが、それでも頭は働いていました。生産的な思考はできませんでしたが、低級な哲学くらいはしていたように思います。抜けられないトンネルでもいつかは出口は来るものです。彼もいつかきっと答えを見つけると思いますよ。成功体験だけでは得られない価値あるものは意外と多いのです。  僕の前では絶対見せない、あの頃の体育会系の後ろ姿を見て喜んでしまう・・・親ってそんなものでしょうか。 ヤマト薬局