サイコロ

 介護保険のことは良く分からないが、ある男性が残念がっていた。その男性は父親を家で介護していて、現在要介護3と言う段階らしいが、自己負担代がそれこそ負担になり、介護の甲斐あって1段下がる事を期待していたのだ。ところが介護の甲斐もなく逆に1段評価が高くなったらしい。要介護4となればもっと施設に預けることも出来るが、費用がそれに連れて発生してしまうので、ありがた迷惑になるらしい。結局は権利を全部行使せずに、まず出費できる金額ありきで、受けるサービスを決めることにしたらしい。 彼が父親の改善を期待したのは、アルツハイマーに効くと言われる高価な薬を毎日根気よく飲ませてきたからだ。とても良くできた息子で、徘徊や失禁で手を焼いているが、決して父親を恨むような言葉を吐かない。奥さんに手伝ってもらってもいいようなことまで彼がしている。処方された薬も1日も飲み残しがないが如く処方せんを持って定期的に訪れる。その彼が、今回のことで「あの薬って本当に効くの?」と初めて尋ねた。大きな総合病院にかかっているから期待は大きかったのだろうが「効かないだろう」と僕は答えた。そもそも効いていないから介護度が上がっているのだから、僕に聞かなくても当人も分かっているだろう。それでも尋ねてみたい気持ちも分かる。ただ、数年来真面目に飲んでいるが、患者が医師の前に行ったのは数回しかない。ほとんど息子が代理で薬を取りに行き、医師の前で1分くらい様子を話すだけらしいのだ。もっとも1分話そうが、10分話そうが、1時間話そうが、処方が変わるようには思えない。医師も劇的な効果など期待もしていないだろうから。鳴り物入りで発売された薬も、所詮1年くらい痴呆を遅らせるのが関の山と言われ出したし、そのこと自体も疑わしい。どうして1年遅らせたと証明できるのだろう。その人が薬を飲まなかった場合の1年後など証明しようがないのに。  立派な製薬会社の餌食になるか、何の意味もない健康食品の餌食になるか、現代人は誰かの犠牲にならなければ生きていけないのだろうか。ほんの少し脅かされればすぐに怯えてうろたえる。20歳過ぎたら皆病気、こう居直ってみたら何が必要で何が無駄かよく分かるのに。 「惜しかった」と残念がる息子に「博打か?」とつっこみを入れたら「そんなもんですわ」と笑いながら答えていた。介護どころか人生のすべてが博打の様相を呈してきている。いい目が出るか悪い目が出るか、振ったサイコロに振り回される。