動物園

 さすがに煎じ薬と粉薬を二人から一ヶ月分同時に頼まれたら時間は結構かかってしまう。ただこの二人はとても仲が良くて、いつも話をしながら待ってくれる。電話で注文を受けて作っておけばいいのだが、少しややこしい症状だから二人ともその都度問診をして作ることにしている。薬局に入ってきて出ていくまでに優に一時間くらいはかかっているのではないかと思う。 昨日調剤室で粉薬を作っていたら、ガラス越しに二人が話している声が聞こえた。聞き耳を立てなくても大きな声で楽しそうに話すから、ほとんど内容は聞こえてくる。祭りの準備や練習で忙しいというような内容だった。そのせいで疲れ気味だと言うことだ。「祭り」で「練習」となると、僕の町などでは必ず秋祭りで出くわす言葉だ。小学生がだんじりのお囃子や、無形文化財になっている唐子踊りや太刀踊りの練習に勤しむのが毎年この時期なのだ。親たちが「忙しい」を連発するのもこの時期かもしれない。何となく親しみの湧く会話内容だったので調剤が終わった後「自分たちの住んでいるところは田舎なの?」と尋ねてみた。カルテに書いてくれている住所は岡山県の東の端で、今ではいたるところが市になっているから、かえって本当の規模が分からないのだ。聞こえてくる内容だったら結構田舎のように聞こえるのだ。おまけに二人ともおしゃれで、田舎からやってくる患者さんのようには見えない。寧ろ県境の町を利用して神戸あたりのファッションセンスのように見える。 「田舎、田舎、昨日車で走っていたら道路をうり坊が横切っていたよ。猪は出るし、狸はいるし、鹿も猿もいるよ」と一人が教えてくれた。「ほとんど動物園ではないの」と僕がつっこみを入れると、「牛窓のほうが都会だわ」と答えた。僕も昔山陽本線に乗ってその町の駅を通過したことがあるが、その一つ向こう、県境を越えると乗ってくる人の言葉が関西弁に一気に変わったのを覚えている。山陽本線が走るのだから県南に属する。そんな南の町で上記のような動物園状態が残っていることに驚いたし、ほっとする気持ちもあった。服装のセンスが良く、何も喋らなかったら都会からやって来たような二人だが、喋れば親しみ一杯の岡山弁で、海が見え太陽がまぶしい月に一度の牛窓を楽しんでくれているようにも見える。  偶然その日、近所に瀬戸内市立美術館が完成して、牛窓をこよなく愛して住み続けた佐竹徳画伯の展覧会の初日だった。漢方薬を作る間見てきたらと促したら、二人で楽しそうに出ていったが、あっという間に帰ってきた。絵にはあまり興味がないのだろう。「今日は開館記念でただだった」とその事が話の中心だった。「分かったような顔をして観てきた?」と尋ねたら「うん、格好つけて観てきた」と言っていた。  土曜の昼下がり、何かの縁でこうして遠くからやって来てくれる人から、寧ろ僕の方が心の安定剤を処方してもらっている。この処方には全く副作用がないから素晴らしい。心の傷にはやはり心が一番。