懸案

 まだ若いときからその店のラーメンは有名だった。偶然何度かその前を通りかかったことがあるが、いつも店頭に行列ができていた。小さい店構えだから、その中を勝手に想像して、息苦しさの方が勝って、とても列に並んでたった1杯のラーメンを食べる気にはなれなかった。おかげで何十年も僕にとっては幻のラーメンなのだ。 昨日ギターの弦を買いに同じ商店街にある楽器店に行った。3時過ぎだったと思う。遅い昼食をとろうとしてふとこの時間帯ならさすがに行列はできていないだろうと思って、少しそちら方面に歩いてみた。いつもなら遠くから行列が目に入ってくるから、店がどこかはすぐ分かるのだが、昨日は行列もなく通りが閑散としていたので、ほとんど目の前に着くまで店の存在に気がつかなかった。僕はいつも店を見ていたのではなく行列を見ていたのだ。店の前のショーケースには古びた見本が数種類並べられていて、どこかひなびた町の食堂を連想させた。県内屈指の商店街の中にあるより牛窓の港の前にあるほうが似合っている。(実際牛窓にはつい最近までニコニコ食堂と言って店主の人柄通りの隠れた人気の店があった) 狭い入り口を躊躇せずに妻が開けると、幸運にもカウンター席に1人、テーブル席に一組の男性がいただけだった。これなら僕でもゆっくり食べることができる。空く席を待っていられたりしたら落ち着いて食べられない。途中止めしてでも後の人に席を譲ってしまいかねない場数を踏んだ経験の少なさが露呈する。  念願のラーメンをゆっくりと味わって食べることができた。テレビのくだらない芸人達のありふれたコメントとここは差を付けなければならない。さて何十年来の幻のラーメンの味は・・・・・「ごく普通」だった。テレビ番組の中なら早速降板間違いなしのコメントだが、その言葉以外思いつかない。この程度のおいしさなら味に寛容な僕でも何度も口にしている。色々なところでその店の名前を聞いたことがあるから、あながち噂は間違ってはいないのだろうと思う。ただ、当時の随一は、その後の他店の努力でどこにでもあるに変わったのだろうか。ただ、あの行列ぶりは尋常ではないからやはり、今だ群を抜いて美味しいのだろうか。こうなれば僕の味覚を疑うべきなのだろうが、妻もほとんど無感動だったから、やはり「嘗て県内でもっとも美味しかった店」なのだろうか。  もっともラーメン店がしのぎを削っている昨今では、ダントツの支持なんてなかなか得られるものではない。作る側の個性と、食べる側の強烈な個性の一致で繁盛店は成り立っているのかもしれないが、食べる側(僕)に個性は全くないのだから、どんなに美味しくつくられていても、評価は「ごく普通」を連発してしまいそうだ。  まあ、結果はどうであれ僕の緩い懸案が一つ減った。どうでもいいことにどうでもいい程度に縛られるのもうっとうしい。所詮消しゴム1つもあれば全部消してしまえそうな僕の足跡など、世の中の懸案にもなれないのだから。