筋肉

 にやっとして「何悪いことをしたん?」と挨拶の前に始めたから余程期待していたのだろう。「自分こそ、家族でつかまったんじゃないの?」こちらも期待大だ。 日曜日の夜、おかずに野菜が足りなかったので町外のショッピングセンターに買い物に行った。途中で僕を追い越したパトカーがそのショッピングセンターの駐車場に止まっていた。パトカーから降りた警察官がパトカーを挟んで両側に立っていた。僕は先に止まっていた大きな乗用車とパトカーを挟むように駐車した。その大きな車が見覚えのある車だったので、暗がりの中目を凝らしてみると、ほとんど毎日のように家族の誰かが漢方薬を取りに来るお家の車だった。牛窓に引っ越してきてほぼ20年、大家族なのだが体が弱いことと、化学薬品が合わないことの二つが幸い?して、僕の人体実験の犠牲になっている。何かやらかしたなと期待したのだが、その場にいることは躊躇われたので、おかずを買いに店の中に入った。店舗を一巡して出てくると、パトカーだけが残っていた。閉店間際は、茶色が目立つパックに詰められた物ばかりが売れ残っていて、見ているだけで胃がもたれそうになって結局は何も買わずに出てきたのだが、大家族の捕り物も見逃して残念だった。 どうやらこちら側の視点とは別に、あちら側も又僕と同じようなことを期待していたふしがある。僕が店内に一端消え、出てくるのを警察官が待ち伏せしているように見え、これ又居心地が悪くて走り去ったのか。 お互い何もなかったことが分かって落胆することしきり。他人の不幸は蜜の味、取り返しのつく小さなミスくらいなら笑いのネタになる。その程度が罪がなくていい。僕と違って、あちらの家族は毎日懸命に生きている人達で警察官のお世話になるような人達ではない。残念ながら、ちょっとした失敗もしていないらしい。失敗したのは親しい僕たちの間に駐車したパトカーの方かもしれない。 たわいない話題を見つけて、たわいなくない会話を楽しむ。漁師や百姓が多く暮らす町が長い歳月をかけて培った塩っ辛い文化かもしれない。余りにも低俗でこの文化は学者の研究のテーマにはなり得ないが、どのくらいの哀しみを紛らすことに貢献してきただろう。  猛暑で僕の体は弛緩してしまっているが、口を動かす小さな筋肉だけは別物らしい。