機関銃

 ご両親は又始まったと当惑気味だが、決して注意するわけではない。ただ優しく見守っているだけだった。そこで強引に介入してこなかったのがいい。僕はとても楽しい時間を持てたのだから。「又おいでね」と言ったのは社交辞令ではなく情が移ってしまったからとっさに出た言葉なのだ。 お母さんの症状を尋ねている時に、横に座っている小学生の女の子が間髪を入れずに答える。最初は当然本人に尋ねていたのだが途中から僕はそのお子さんにお母さんの症状の変化を尋ねだした。それは的確な表現で答えてくれたこともあるが、より客観性を担保できると思ったからだ。その時点で僕はすでに彼女を大人並みに信頼している。最初ご両親の傍に腰掛けた幼い姿からはただのかわいさしか伝わってこなかったが、いざ喋り始めると、語彙の豊富さ、的確性、洞察力などで決して大人に引けを取らなかった。いや下手な大人より話し上手だ。関西人特有のユーモアを所々にちりばめて、聞き手を飽きさせない、と言うより話に引き込まれそうだった。  僕はいたずら心を出して「沖縄問題についてどう思う?」と尋ねてみた。すると彼女は一国の総理の定まらないリーダーシップを嘆いていた。まるで政治好きのおじさん同士の話みたいだ。喋る度に驚き感動していたから具体的な内容は覚えていないが、もし録音でもしていたら一つのテレビ番組でも出来そうな内容だった。下手な無能芸人より数段面白く楽しかった。 単なる早熟か、あるいは才能か。どちらにしても、まるで意図的なものを感じなかった。あたかも反射の如く飛び出す言葉に計算尽くの余地はない。まるで自然体なのだ。あどけない笑顔から機関銃のように出てくる言葉は、僕の心を見事に撃ち抜いた。