公衆電話

 薬剤師会の代議委員会に出席する時に印鑑がいることを思い出し、家に連絡しようとしたが公衆電話が道路沿いにない。家を出てすぐに思い出したので妻に持ってきてもらおうとしたのだが、30分くらい走ってやっと1台見つけた。岡山市の東隣の僕の町から、岡山市の南まで、距離にして25kmくらいあろうか。やっと見つけた公衆電話から家に電話をしたら、妻が不在で結局は印鑑は手に入らなかったのだが、その公衆電話から次の公衆電話まで、岡山市を越えて玉野市に入らなければ見つからなかったのは、なんとも僕らアナログ世代にとっては、まるで公衆電話難民だ。 その町で悲しい知らせを聞いた。ある若いお父さんのお子さんが、生後僅か2ヶ月で心臓の手術をしなければならないらしい。南の国から来たお父さんには手術費はかなりの負担で、日本の企業から前借りするらしい。ただその額が、僕は○が2つくらい違うのではないかと思った。経済格差がある国だから、僕らの国の人間からしたら安いと思ったが、かの国では高額なのだろう。悲しい話だが、彼が偶然日本に仕事に来ていてよかったと思った。彼を知る日本人が少しの援助を持ち寄れば、彼が金策する必要はなくなるから。悲しみは共有しなければ、当事者は辛すぎる。「僕が強い人間だから、子供もきっと強いです」と父親が言ったそうだが、あっぱれなお父さんだと思った。本当に強い人なんだと感心した。  恐らく本国の妻から携帯電話で伝えられた情報だろうが、朗報が一瞬のうちに悲しいニュースになった。公衆電話で何もかもすませていた僕らの世代より、喜怒哀楽も数倍の振幅を持って伝えられるだろう。かみしめることも、飲み込むことも許されない時間差ゼロの時代だから。