だいたい

 この辺りでは引きつけと言うが、共通語ではこむら返りと言った方がいいのかもしれない。そのありふれたこむら返りで入院して、以後病院を変わってリハビリに励んでいると言うから、分かったような分からないような内容の相談だった。 当事者の話ならまだわかりやすいのだが、代理のご主人だし、弱みを見せるのが苦手なのか斜に構えて、いちいち話すたびに鼻で笑うような仕草をする。わざわざ遠くから何しに来たのかと思って、もう薬を出すのは止めましょうとかと提案したがそれは困るみたいだった。  何回か来るにつれて身構える必要もなくなったのだろう、今は牛窓の人と同じような感覚で応対できる。で、そのご主人が主題ではなく、単なる夜中のこむら返りだったものが2ヶ月の入院になるって不思議な話。県を代表するような病院と、その夫婦が住む市を代表するような病院で検査などをして原因を究明してもらったらしいが何も問題はなく、リハビリだけをしているらしい。要は歩けなくなったのだ。力が入らずに足に棒が一本はいったような感じらしい。病院内でも車いすの生活をしている。  まさか入院患者に煎じ薬というわけにも行かないので、粉薬で作って1週間分ずつご主人が運んだ。次第に硬直していた足が柔らかくなって杖で歩けるようになり、2週間後に自発的に退院した。リハビリ以外薬も点滴もないのだから家にいても同じだと判断したのだ。家に帰れば煎じ薬が作れるので、すぐ変えてもらった。すると家のなかでは結構動けるようになったので横着をして煎じ薬を勝手に止めてしまい、今ちょっとだけぶり返している。まあ、いずれ治るだろう。  漢方薬に病名はいらないと言われるがまさに今回などはその典型だろう。検査をしてもなにも出てこなければ病院には手が出せない。これは法律の壁が大きい。逆に僕らみたいな「だいたい」の人間は融通だらけだ。お医者さんほどの知識もないし、検査も出来ないから症状で判断する。患っていれば病気だし、本人が気にしなければ病気ではない。いい加減なものだ。足が硬直しているなら血液を流せばいいなんてもので治ってくれるのだから人間の自然治癒力は有り難い。僕の非力を十分補ってくれる。保険で漢方薬が飲めなくなると言う仕分け報告があったが、こんな考えはもう20年前から出ている。今回も又すぐに覆されるだろう、毎回繰り返される光景だ。僕が心配なのは訓練された医師が使わない限り資源の無駄になるって事。薬草は合成できないのだから、栽培しかない。専門医でない医師が漢方薬を使ったり、薬局製剤製造業の資格を持っていないドラッグでたたき売りされたら将来の人達が漢方薬を使えなくなる。   ある症状で珍しく息子に相談を受けた時、六君子湯を使ったらと提案した。でもその後息子が漢方薬を使っているという風評は伝わってこない。それでいいのだと思う。漢方を勉強して初めて使えばいいのだ。その方が患者にも地球にも優しい。「だいたい」ではすまされない職業の人達は大変だと思うが、できれば患者も地球も治して欲しい。