電動車

 長身の青年が入ってきて、慌てているのを必死で隠しながら「電動車で今日紙オムツを買いに来たおじいさんがいませんか?」と尋ねた。1時間以上前に、まさに言われるままの老人が来られたのでその事を言うと、いつ頃帰ったかを尋ねた。もうこの辺りで青年の心配事が推察できた。恐らくその老人が帰ってこないことを心配して捜しに来たのだろう。もう5時を回れば十分暗くて、電動車で走るには危険だ。交通事故にでも遭ったか、どこかへ落ちているかなど悪いことはいくらでも頭に浮かぶ。 その老人を妻が応対していたのを調剤室から見ていたので、妻にバトンタッチした。妻は、老人が寒そうだったので買い物が済んでからしょうが湯を作ってあげていた。老人は一服して出ていったのだが、その時に残していた言葉を妻が聞いていて、家とは逆の方向にある医院に行ったらしい事を青年に告げた。それを聞いた青年は安堵した様子でお礼を言うとすぐに出ていった。  その後数分もしないうちに、今度は老人が二人トラックでやって来た。さっきと同じように慌てていて、同じような質問をした。その場には僕と妻と娘がいたが、3人で今し方の出来事を説明した。青年とは違って男女の老人二人は、取り乱して次の行動をとれなかった。そこで娘が直接医院に電話しておじいさんのことを尋ねてあげた。案の定、おじいさんは10分くらい前に医院を出たことが分かった。その医院は市内でも有数の患者さんが多い医院で、きっとおじいさんはかなり待ったのだろう。今から峠を越えて電動車で帰れば何時に家に帰れるやら、そしてそれはかなり危険なことだ。でも所在も分かったし、今こちらに向けて帰ってきているだろうことも分かったし、僕らも含めて全員に安堵感と、うれしさが込み上げてきた。僕ら家族は不思議な喜びに浸った。それぞれが何故かとても嬉しくなった。不思議な感覚だった。もっとクールに対処して、もっとクールな感情でおれると思ったのに、単純に嬉しくて仕方なかった。わき出るような喜びと言ったら上手く表現できただろうか。  老人二人が軽トラックで途中まで迎えに行くと言って出ていってから、ふと3人で登場人物の人間関係を考えた。と言うのも、電動車の老人と青年は明らかにおじいさんと孫の関係だろう。ところが後の老人二人が分からない。慌てぶりから当然家族のようだが、どうも年が3人同じように見えるのだ。本来なら、息子夫婦というのが一番しっくり来るのだが、息子やその嫁にしては老人と同じくらい老けている。あれこれ詮索したが結局は分からずじまいだった。色々なパターンが考えられるが、それはもうどうでも良かった。とんだ騒動だったが、老人を心配する家族の気持ちを垣間見ることができてとても心が温まった。心優しい人が住む田舎の町で仕事が出来ることをとても嬉しく感じた。経済だけを目的に立地を求めるならハンディーがある町だが、心指数は高いと思う。そこで生活できるなら、それは十分幸運なのだろう。豊かすぎる人はいないが、貧しすぎる人も少ない。心が痛む機会が少ないのはそれはそれで楽なのだ。  しばらくすると青年が、ほっとした様子でやって来て、お礼を言った。老人は「ワシが行かんと、ぴったしの紙おむつは分からん」と啖呵を切って出てきたらしいが、ほんの少し前までダンプを運転していた面影はなく、電動車に杖をさしてゆっくりと移動する姿は、悲しくもあり心温まりもする。時はあらゆるものを変えるが、心意気の強さだけは変え忘れたのかもしれない。