僕には関係ない呼びかけだから最初は全く気がつかなかった。息子が教えてくれて、下の孫が僕を呼んでくれたことが分かった。息子は忙しい職業だから、なるべく生活の邪魔をしないように気をつけて会いに行くようなことは控えていた。又僕自身もしなければならないことが山のようにあるから、ゆっくりと時間をとると言うことが苦手なまま今に至っている。おかげで孫とはほとんど会ったことがないという不思議な関係だったのだが、今日は十分一緒にいる時間を与えられた。最初は遠くから呼んでくれるだけ、少したつと近くに行っても、手を握ったりしてもいやがらなくなった。そのうち片言で話しかけてくるようになり、最後にはじゃれてきたり大きな声で笑ったりしてくれた。上の女の子は、もう幼稚園の上のクラスだから、急には仲良くなれないかもしれないけれど、下の子は十分間に合うと思った。 娘の結婚式の間中、僕は孫と一緒に過ごした。僕の心は99%孫に行っていた。世間並みの、美談めいた結婚観はいやだから、娘にも彼にもまるで冗談のようにと言っていた。彼らも少し世間並みの考えとは異なっていて、作られた商魂たくましい式ではなく、人間関係を新たに作る機会にしたかったみたいだ。おかげで僕は予期せぬ孫との幸せな時間をもらうことが出来た。披露宴ではなく自己紹介パーティーとでも言うべきもので、僕は新たに親類になる人のすべてを理解することが出来た。それ以外に披露宴などと言うものの意義を未だ見いだせない。  これで僕は結局二人の子供に結婚おめでとうとは言わなかった。その上何の援助もしなかった。招かれて美味しいご馳走を食べて帰るだけだ。ただ結婚式は、教会のおばちゃん達が2ヶ月くらい準備して、全くの素人ながら、とても素晴らしい式をしてくれた。特に神父様が、結婚式のためのコンパクトなミサではなく、常に行なわれている正式なミサをわざわざ用意してくださって、式の為の式ではなく、結婚を心からお祝いしてくださる素晴らしいミサを授けてくださった。式場には即席の合唱団、フィリピンの若者達やおばちゃん達と沢山の「他人」がいて、大いに祝福してくれた。こんなに他人の結婚を喜んでくれる人達がいるものだろうかと、考えさせられる光景だった。それはどんな華やかな式よりも確実に意味があった。サプライズを仕掛けてくれたのか偶然か分からないが、特にプロの歌手を呼んでくれていて、急に歌声が礼拝堂に響いたときは一同が驚き、より厳粛な気持ちになれた。  式もパーティーも終始笑顔が溢れ、人の優しさを感じ続けることが出来た1日だった。涙を誘っていくらなどという商魂の介入できない1日だった。