近畿大学ヨット部

 黒いジャージに負けないくらい日焼けした若い女性が、何も言わずに薬局に入ってきて物色し始めた。こういう人はほとんどがドラッグストアみたいな所しか経験していないので、そもそも挨拶という概念はない。こちらももう慣れているので、目があった時「こんにちは」と言っただけで後は放っておいた。
そのうち手に50個入りのマスクの箱を2つもって、カウンターの方に歩み寄ってきた。そこで初めて彼女は口を利いた。うがい薬が欲しいらしい。マスクを持っているからインフルエンザ予防のためかと思ったら、もうすでに仲間数人が喉の痛みを訴えているらしい。となるとかの有名な殺菌のうがいではだめなので、消炎効果優先のうがい薬にしようと二人で相談した。その頃から彼女はとても表情を崩して、最早垣根はなくなったように思えた。領収書を書かなければならなかったので、それも彼女の大学の方針に沿った書き方をしなければならないおかげで、少しの時間話すことが出来た。  彼女は近畿大学のヨット部の学生らしい。「一杯薬があるんですね」とか「変わった薬があるんですね」とかやたら興味を示すので「薬学部なの?」と尋ねたら経営学部と答えた。何でも全日本の試合があるから10日間くらい牛窓に留まって試合をするらしい。全日本の後が良く分からないから、学生の大会か、社会人も含めているのか分からなかったが、恐らく彼女たちにとっては大きな大会なのだろう。「優勝しそう?」と水を向けると「私達の大学は人数が少ないんです。今は全員1回生ばかりです」とマンモス校ならぬ答えをした。意外な答えなのでその真相を尋ねると、近大は大阪の西にあるのに、ヨット部の港は兵庫県の西宮らしい。だから練習に行くにも不便なのだ。そんな悩みも彼女は話してくれた。  体育会系の学生らしく、ちょっとしたこちらの行為に毎回「ありがとうございます」と返し、何回彼女は薬局にいる間その言葉を口に出したのだろうかと思う。元々都会の子か、あるいは地方から出ていった子か分からないが、こうした若者がそれこそ万の単位で暮らす街のことを思った。恐らく将来を見通して堅実な努力を重ねているような子は今の世も少ないだろう。今日が昨日と同じことを約束され、明日も今日と同じことが約束され、どっかりと腰を下ろした時間の奴が慌てて逃げてくれればそれでいいのだ。青春とは居座った時間の多さに嘔吐する時期だ。  好感の持てる彼女に、何十年前の僕を重ねる要素は何もない。ただ、今日電話の向こうで涙した、遠く東の方にすむ学生には、僕のあの頃はやはり重なってしまう。臆病だから渡れぬ橋もあるが、臆病だから渡れる橋もある。こうあるべき姿ってないのだ。僕はそれを伝えたい。向かい風でも進むヨットのようになって欲しいから。