ありがとうクリ

 夕方、2階に上がっていった娘にモコが激しく吠え立てた。リビングの方に行くとクリが激しく痙攣していた。明らかにモコは異変を感じて教えてくれたのだ。娘も妻も慌てて獣医に電話をし、指示に従って心臓マッサージをしてやった。少しだけ痙攣が収まってから獣医のところに連れて行ったのだが、今、目を開いたまま毛布に包まれ抱かれて帰ってきた。妻も娘も泣きながら帰ってきた。さっきまで苦しそうだったけれど今は笑っていると娘が言っていた。死ぬことはこんなに辛いのかと動物ながらに教えてくれもするが、でもさすがに動物で、本当に患ったのはこの数日だ。確かに痩せて筋力は落ちていたが、自分で立つし急な階段も自分で上ったり降りたりしていた。昨夜も結構長い散歩にも行った。 犬嫌いの僕を犬好きにしてくれたのもクリだし、犬の習性を教えてくれたのもクリだ。余り面倒は見てやれなかったけれど、家長と認めてくれとても従順だった。気の毒なくらい従順だった。いつか別れの日が来ることは分かっていたし、それが近いことも分かっていたが、悲しさはかなり強烈だ。優しい顔を見て、まだ温かい体に触れると涙が後から後から出てくる。15年一緒に暮らしていたのだから当たり前かもしれないが、命とは残酷なものだ。生まれた日から死に向かって歩み、会った日から別れに向かって歩む。今にも首を持ち上げて僕の方を見るのではないかと思われる穏やかな眼差しは最早、拍動に裏打ちされず、意志を持たず、顔の造りでしかない。昨日までぼんやりと見える僕の姿を追っていたのに。僕は優しい主だったのか、頼りになる主だったのか、我が家に来て幸せだったのか。  これだけは決して元に戻すことが出来ない。だからこそもっとも大切なものなのだ。病気は勿論、不慮の事故にも事件にも遭遇することなく、誰もが満足のうちに生は終わりたいものだ。