胸中

 昨日の昼すぎ、娘が偶然2階に上がっているときにモコが急に倒れて痙攣した。その後娘はほとんどの時間をモコと一緒に過ごした。仕事が終わった後僕が2階に上がると、娘が懸命にモコの身体をさすっていた。何本かの携帯用の酸素が空になっていたから吸わせていたのだろう。モコはぐったりとしていて目も半眼開きだ。足先は冷たくなっていて、最近急に細くなった胴体もなんだか冷たかった。死を予感させる光景だった。家族も暗黙の内に覚悟はしているが、目の当たりにするのはなんとも哀れで辛い。娘は懸命に世話をしていたが、何度も鼻をすする。ある瞬間顔をあげたので見ると、それこそ瞼を腫れあがらせていた。恐らくずっと泣き続けていたのだ。どこの方でも同じだと思うが、犬は家族と同じだ。特に我が家のモコはミニチュアダックスだから人間の年齢に換算して80歳過ぎでもまるで赤ちゃんのように見える。そのこが大きな息をしているのを見るのはつらい。いやいや昨日のモコは大きな息をすることも出来ないくらいだった。だから苦しんでいるようになかった。ただそのまま逝きそうな感じだった。「このまま眠るように逝けば安楽死だ」と娘を慰めるために言ったのだが、慰めにはならない。いつかこのように悲しい別れが来ることが分かっているから絶対にペットを飼わないという人もいるが、分からないわけではない。
 今日獣医に連れて行ってからの報告で、犬は人間のようにゆっくりと弱っていくのではなく、あるとき急に死んでしまうことがあるらしい。何の手当てをしてもらえる訳でなく、ただそうしたことを教えられて覚悟を迫られただけだったみたいだ。初めて我が家にやってきてから10数年一緒に過ごした日々がかなり鮮明に思い出される。おかしな表現だが一つの人格を持った唯一無二の存在だったと僕でも思えるのだから、娘の胸中はそんなものではないだろう。この試練を乗り越えるには宗教でも哲学でも力を借りなければ。