噴火

 母が3時頃薬局にやってきたとき、珍しくテンションが低かった。いつもならこちらが用事を頼む前に向こうから必ず何をするか催促があるのだが、今日は何かしらうつろだった。僕はその理由を確かめるほど孝行息子ではないが、さすがに妻と娘は気になったみたいで、少しずつおしゃべりで誘って理由を探り出した。 今日は年に一度の独居老人を施設に招いてもてなしてくれる日で、昨日母が行っても良いかと僕に尋ねていた。勿論僕は気分転換になるから行っておいでと答えたが、母は手伝いが出来ないことを何回も謝っていた。まるでサラリーマンが休暇を取るような感じなのだろうか。  そんな申し訳ない気分で出かけた母を待っていたのは、どうやら面白くない講演と面白くない公演だったらしい。講演の方は難しくてさっぱり分からなかったと言うし、公演の方は、演技者が難しくてさっぱり分からなかったというのだ。なんでも、演劇の途中から せりふが出てこずに台本を見ながらやり始めたらしいが、それでも分からなくなって役者が舞台で言い争いを始めたらしいのだ。その光景に嫌気がさしたのもあるし、その程度の出し物ごときで貴重な時間を奪われたことが残念なのだ。どうせボランティアの演劇なのだろうが、それは言い訳にはならない。お年寄りがみなぼけているとは限らない。全員が寛容だとも限らない。手を抜くことは失礼だ。その程度のことでボランティアというのはおこがましい。いくらボランティアでも不快感を与えてはいけない。老人は長い間に培った感性を持っている。若者よりはるかに経験に裏付けされた知識も多い。見くびってはいけない。何でも見せていれば喜ぶなんて思い上がってはいけない。慰問している人が慰問される人より優っているなんて保証は全くない。例えば、90歳にして現役で毎日6時間僕の貴重な戦力として手伝いをしてくれている老人の貴重な時間を潰してはいけない。  まるで幼子をあやすように対するのが優しさではない。何かをするスピードが落ちているだけの人達の尊厳を傷つけてはいけない。馬鹿にする理由は全くない。穏やかな眼差しの下に尊厳は噴火するくらい蓄えられている。誰もそれは犯すことは出来ない。だから尊厳なのだ。