感謝

 車中の話しぶりから彼女は2年ぶりの再会をとても楽しみにしているみたいだった。お互い駆け寄りハグでもし合うのかと言わんばかりだった。あまりの落差に落胆するのが落ちだったから「おばあちゃんは、〇〇チャンが帰ったときとはもう違っているよ」と予備知識をおせっかいかもしれないが与えておいた。でもそれは正解だったような気がする。  昨夜遅く電話がかかってきた。アルバイトの話しかと思ったら、僕の母に会いたいという。日本にいる3年間、しばしば遊びに来て母とも多くの時間を過ごしていたから、当然会いたいに決まっているだろう。ただ、かの国にはない特別養護老人ホームなるものに入っているから、元気でないことは知っているが、どの程度なのかは想像できないだろう。  施設のホールにたくさんの机が並べられていて、各机には数人の老人が椅子をあてがわれている。僕が母を見つけるより早く彼女が見つけて近寄って行った。そして椅子の前にしゃがみこんで母と視線の位置を合わせ、なにやら語りかけたが母は目をつむったままだ。意味不明の言葉は発したが、目を開けなかった。戸惑っている彼女を制して僕は母を施設の外に連れ出した。少しは風があったが、それを見越していて暖かい服をもっていっていたので、それを母にかけてあげて車椅子を押した。外にでてからは、実際に押したのは僕ではなくて、〇〇チャンに今回日本で勉強することを誘われて一緒に来日した〇〇〇さんだ。外にでるとは母目を開けて、「気持ちがいいな」としっかりとしたことを言った。それを見ていた○○ちゃんがもう一度母の前で姿勢を低くして「○○○○人の○○です。覚えていますか?」と母に大きな声で尋ねた。すると母は笑いながら支離滅裂なことを言った。それから車椅子はゆっくりと施設の周りを回ったのだが、○○チャンは終始車椅子の前2メートルあたりを一度も振り返ることなく歩いた。僕にはすぐに分かった。変わってしまった母を注視出来ないのだ。2年前、帰国する夜、彼女が我が家にやってきて母にお別れの挨拶をしたのを良く覚えている。母は彼女をねぎらい、彼女もまた母に元気でいてくださいと言っていた。その時、「涙は国に帰ってから流します」と気丈に言ったのを覚えている。わずか2年で、こんなにも変わってしまったことを悲しんでくれたのだ。  その後施設の中に戻り大きなテーブルを囲んだ。彼女はそこでも母に背を向けて、ティッシュで涙をしきりに拭いていた。彼女の友人もまたもらい泣きで、二人してティッシュを取り合っていた。そこで写真を撮ってもらうように○○○チャンに頼み、母を囲んで3人が収まった。そしてスマホの写真を母に覗かせながら、やっと楽しい会話が始まった。と言うのが母がとてもその写真に興味を示し、頷いたり笑ったりを繰り返し、一気に饒舌になったのだ。すると本来とてもシャイなくせに陽気な〇〇ちゃんが本領を発揮しだして、優しくかつ楽しく母に話しかけてくれ始めた。すると母の答えがだんだんと的を射たものに変わってきて、最後には奇跡が起こった。「これはだれですか?」と〇〇チャンが写真の中の僕を指差すと「それは彰夫に決まっているじゃない」と2年ぶりに僕の名前を言った。この2年間僕の名前など分からなかったし、いや僕自身が息子だと言うことも分からなかったのに、名前が間髪を入れずに口から出てきた。  これは明らかに〇〇効果なのだ。姉の場合も少しこれと似た効果を目撃したが、今日の比ではない。彼女たちの純粋さに引かれ付き合う中で、多くの喜びを今まで得てきたが、そしてそれに応えられるように努力してきたが、やはり僕のほうが圧倒的な喜びを得ている。何物にも換えがたい感動を得ている。  他人の母親に対してまるで実の祖母のように、優しく接してくれ、哀れみの涙を流してくれる。こんな人たちがいるのだろうか。感謝と感動の一日だった。