錯覚

○○ちゃんへ  僕の青春時代のつまずきは、大いなる錯覚が始まりでした。僕は自分で福山雅治みたいな格好良い青年でみんなが注目していると思っていました。ところがそれは単なる思い込みで、何年か前、高校2年生の同級生に僕のことを聞いたら、ほとんど印象がなかったと教えてくれました。僕にとっては、魔の高2だったのですが。その思い込みを何十年も抱えてしまい、かなり自分の人生を制約してしまいました。  最近になってあなたのような、いや嘗ての僕みたいな人の世話を多くするようになって、如何に人が他人に対して無関心かよく分かりました。残念ながら、自分に関心を持っているのは自分だけなのです。僕みたいな醜い青年でもまるでスターのように人の眼を気にするのが青春です。  生産的なことにその心が向かえば何か頑張る理由になるのですが、僕は残念ながら鏡とにらめっこして悦にいっていましたから、何も得ることはありませんでした。ナルシシズムは自由に好きなことをすることを邪魔してくれただけです。不自由を手に入れただけです。  青春のつまずきと僕は呼んでいますが、大なり小なり青春期には誰にも起こりうることではないでしょうか。あなたも落とし穴に落ちたことを悔やまないでください、必ず脱出できますから。○○のこと、と言うより、会場でのことが心配みたいですね。でも大丈夫ですよ。あなたの周りの人もあなたと同じ心配を持って会場に来ています。勇気がある人なんていないと思ってください。あなたが心配していることはほとんどの人も心配し、あなたが気にならないことは、ほとんどの方が気にならないのです。僕が長い間、多くの人と接して得た結論です。この結論を持って僕はあの頃の僕に会いに行きたいです。そして教えてあげたい、「みんな一緒なんだよ」と。そうすればあの頃のうぬぼれた僕でさえ、「ああ、僕の気の弱さは普通なんだ、みんな怯えながら臆病に生きているんだ」と思えたでしょう。強がったりする必要はなかったのです。寂しがり屋でうだつの上がらない青年で良かったのです。確かに今だから言えることです。でもこのことを早く誰かに言ってもらっていれば、あんなに無駄な苦しみを抱えて生きていく必要はなかった筈です。しかし今となっては、僕が40年近く前落とし穴に落ちたことが○○ちゃんの役に立てればそれでよいのです。そうすれば僕の青春を恨むこともありませんから。  でも最近鏡を見ながらつくづく思うのです。「どちらかというとオダギリジョーかな?」と。 ヤマト薬局