ほどほど

 冷静に振り返ってみれば何でもないことが、その時は大変なことのように思えることがしばしばだ。現役で青年時代を送っている人にとってはまさに毎日がそうかもしれない。自分の姿が鏡に映るたび、ショーウインドウに映るたびに陶酔に浸り、その陶酔を維持するために高きに設定した仮の自分の姿を追い求めなければならない。元々無理があるのだからその行為はとてもしんどくて、途中で息切れがする。そうすると仮初めの自分が現実を通り越して、遙か谷底に一気に落ちてしまう。途中で引っかかり現実に目覚めるのなら救いがあるが、往々にして一気に奈落の底だ。奈落の底は自虐の世界だ。見上げても太陽の光りは注いでこない。本当は届くはずなのに、自分で開いた真っ黒の傘で遮っている。家族や友情の花は咲かず、菌糸体からわずかばかりの生命力が伸びるだけ。崖をはい上がる力は湧いては来ない。大空を飛ぶ鳥は羨望ではなく憎悪の滑空。僕はこれを青春の落とし穴と呼んでいる。  40年くらい前、その落とし穴に落ちた男が、今落ちている青年達にエールを送るとしたら、受け入れることだ。自分の力量を受け入れることだ。華々しい人生なんてそんなに誰にでも訪れるものではなく、そんなに大した価値もないってことを。ほどほどの人生しか99%の人には待ち受けていないし、そのほどほどが結構生きやすいのだ。苦しんだ分どこかで報われるし、調子に乗った分どこかでしっぺ返しを食う。良くしたものだ。所詮その程度だからいちいち大げさに考えないことだ。学校に行かず、仕事に行かず、それで幸せになった人もいるし、頑張って頑張って不幸になった人もいる。出来れば少しの幸せ、少しの不幸でほどほどに生きて欲しい。振り返ってみれば何もかもが大したことではないのだ。何も持っては逝けないのだから身も心も身軽で良い。ボストンバッグ一杯の人生は重すぎる。ズボンのポケットにはいるくらいの人生で丁度良い。