立体感

 昨日偶然二人の方と初めて電話で話をした。もうずっと薬を送っているのだが、声を聞いたのは二人とも初めてだ。メールで多くの情報をもらっているが、やはり生の声は文字では到底及ばない立体感を持っている。 それにしても二人ともなんて優しい語り口なのだろう。一人は関西の男性、一人は北海道の女性だったが、何に例えたらいいのか分からないくらい優しさが伝わってきた。もっとも二人だけではない。今まで沢山の過敏性腸症候群の人達に会ってきたが、多くがこの二人のように穏やかだった。いや、今思いついた。まるで波のない早朝の湖面を、ボートを漕いで渡っているような感じに例えられるだろうか。オールさばきが上手い人は波しぶきも立てないし、かすかな音しかたてない。まるで人生を静かに漕いで渡っているように見える。ただ、それはあくまで表面的なものでしかなく、オールを持つ手に込めた力はある人は強く、ある人は熱く、ある人は涙で濡らしている。   時代を上手く生きる能力は、不器用にしか生きられないことに優っているのか。不器用にしか生きられないことは否定されるべき事なのか。争わないことは臆病なのか。自ら落ちた青春の落とし穴も、悪意の手で背中を押されて落ちた穴も空が見えない同じ深い穴。僕が差しだす手が届くのかどうか分からない。漢方薬が縄ばしごになるのかどうか分からない。だけど嘗てその穴に落ち、そして幸運にもはい上がれた先輩として、脱出できる方法を僕は知っている。自分を否定しないこと、人と比べないこと、上手く生きることは諦め、より良く生きること、他人に評価されることを望まないこと、人を誉めること、赤信号では渡らないこと、ゴミは分別して出すこと、インスタントラーメンの汁は残すこと、カラスに石を投げないこと、宝くじは10枚以上買わないこと、10円拾っても喜ばないこと・・・そして湖ではジェットスキーには乗らないこと。