先入観

 「わたしゃ、今は我慢しているけど死ぬ前には全部あいつに言って死ぬ」初めはちょっとした会話だったのだが、最後はヒートアップして通りの向こうまで聞こえそうな声と笑い声で締めくくった。  お年寄りだと決めつけて、思考力が落ちているとか、感受性が鈍いなどの先入観は捨てた方がいい。確かに痛いところは増えて骨格もいびつになっている。皺は増え筋肉もたるみ、まさに原形を留めない変わり様かもしれないが、心までが耐用年数を越えているなんて誤解するととんだ墓穴を掘る。  この女性も病院で10種類以上の薬をもらって飲んでいるから、そのことだけでもう病んだ老人と判断されても仕方ない。ところがこの女性は一杯の心配事を現役で抱えているのだ。病院で処方されている2種類の睡眠薬は、将来のことを考えたら眠れなくなるからもらっているらしい。夜も眠れないほど頭は回転しているのだ。もし将来に不安がなかったら必要のない薬なのだ。娘は彼女から見たらとても許せない男のところに嫁ぎ音信も滅多にない。息子は独り暮らしを楽しんでいる。家を継いで貰えるのか、墓を守って貰えるのか心配し、自分の老後をどの施設で過ごすかも心配している。先日その施設の見学に娘婿と一緒に行ってきたらしい。孫が欲しがっている電化製品を買ってやる約束で。道中、自分が老いたら迷惑をかけない為に施設に入らなければならないからと見学する由を言ったらしいが、娘婿は何一つその事に関してコメントしなかったそうだ。「何も期待してはいないけれど、嘘でも、心配しないで、俺たちが看るから・・・くらいは言えばいいのに」と怒り心頭だ。芸術家気取りのバツイチに娘を取られたと20数年憤慨やるかたなく悶々と暮らしているところに、この無関心。嘘でもいいから優しい言葉をかけてくれたら、少しは20数年の恨みつらみが和らぐかと期待していたが、がんとしてその話題には触れなかったらしい。老人は感受性を失って、考えない存在ではない。一つ先も二つ先も読んで敢えて耐えているのだ。言いたいことも、やりたいことも我慢しているから静的に見えるだけなのだ。肉体は衰えても、感受性までは衰えてはいない。哀れみをかける存在でもないし、まして軽蔑する存在でもない。年輪で獲得した多くの知恵の袋の持ち主なのだ。 政治や会社を牛耳る一部の元気すぎる老人は別として、多くのごく普通の老人はただ謙虚に暮らしているだけなのだ。努々、何かのハンディーを持っている人と一括りにしない方がいい。長年蓄積した知恵は知らんぷりなんかとうに見抜いている。