凄惨

 恐らく青春時代に一番多く口にしたのは「なにかいいことない?」と言う言葉だったのではないか。ほとんど挨拶言葉になっていたように思う。おはようもこんにちわもなかった。先輩や友人に会って、型通りの挨拶をした記憶がない。もっぱら、時間帯も先輩後輩も考えずその言葉を繁用していたような気がする。もっとも、相手もほとんどがその言葉で返していたのだとも思う。  そのくらいあの頃は何もなくて日々悶々と暮らしていた。目の前には膨大なおよそ消化しきれないような時間がただ横たわっていただけだった。それをどの様に渡って歩まなければならないのか考えただけでも、心は鬱々としていた。鬱々は青年期の専売特許だ。希望は恐らく一つもなかった。まともな先が見える何かが心の中で浮かんでも、夢は布団から起きあがる前にはじき飛ばされ、アパートの狭い壁で砕けて散った。  鬱々は青年の特権だ。はじけるような希望に満ちた顔もよく似合うが、出口の見えない苦悩のトンネルを肩を落として歩いている姿もよく似合う。それを医療で治そうとすると鬱々が鬱になってしまう。鬱々は創造力をうちに秘めるが、鬱は生産できない。医療の対象になれば病気、青年期の特徴と思えば個性。良くは分からないが、恐らく今まで世に出ている多くの作品が鬱々とした青年の日常から紡ぎ出されたものではないだろうか。  青年期の鬱々には及ばないが、未だそれをある程度引きずっているのにどうも僕のそれは生産には結びつかない。ここまで来るともう凄惨の域に達して手遅れなのかも知れない。