蛇口

 アフリカの砂漠地帯から東京に来たある部族長が一番驚いたのは、蛇口をひねれば水がふんだんに出てきたこと。彼らにとって水は、遠くはなれた井戸に通い詰めなければ手に入らない貴重なものだ。帰国するときに彼は一杯蛇口を買い、お土産に持って帰った。帰ってから住人を集め得意満面でみんなの前で蛇口をひねった。水が溢れ出るはずだったのだが、勿論水は出てこなかった。 笑い話のような本当の話を神父様が今日してくれた。説教の意図はアフリカの人達を笑うためでは勿論ない。僕らが、あまりにも過程を無視して、実りの所だけ取ろうとしているのではないかと諭すためだ。信仰の面から言うと、良い道、険しい道を歩むことなく、何かを叶えてくださいとお願いするだけの信仰になっていないかというのだ。実生活の面でも当てはまる。勉強をしないで有名校に合格させてと祈ったり、努力もしないのにお金持ちにならせてとお願いしたり。単なるお願い宗教になっているのではないかと言われるのだ。  恥ずかしながら100%あたっている。僕の方を向いて言っていたのではないからまだ耐えられるが、まさに図星だ。思わず苦笑したのは僕だけではないのではないか。何時になったらこの性癖が治るのか分からないが、なかなか楽な方に舵を切る癖は直らない。宝くじ売り場の前で、折角清められた心を当日のうちに汚したくないので、目の前におかれた餌をじっと我慢する犬のように待てのポーズでよだれを垂らしていた。