軽業師

 母方の祖父は、僕が学生の頃亡くなった。亡くなったことの連絡は受けたが、帰ってこなくても良いとのことで葬式にも出なかった。20年以上付き合ったことになるが僕の頭に浮かぶ顔かたちはただ一つだ。20年の間、長い休みには必ず母の里に長期に預かってもらっていたから、70歳から90歳までの祖父を見ているのだが、当然記憶にあるのは90歳に近い最後の頃の顔だ。  今日病院に叔母を見舞いに行ったときに面白い話を聞いた。おじいさんから聞いた話だと言って教えてくれた。実は祖父は妊娠7ヶ月で生まれたらしい。明治時代にそれだけ早く生まれると生き残れるかどうか分からなくて、役所に届けをしなかったらしい。どうなるか分からないから、生きれるかどうか様子を見てみようと言うことになったらしい。1年たって、元気に育ちそうなことが分かって初めて届け出をしたらしい。何とも、おおらかなことだ。命はやはり授かるものだったのだろう。祖父はそれでもそのことが気になったらしく、近所の同級生の名前を挙げて、「ワシの方が1歳おおきんじゃ」と拘っていたらしい。腕の良い大工の棟梁だったらしくて多くの家々を建てたが、そんなことで意地を張っていたのかと思うと余計親近感が増す。僕ら孫達は宝物のように大切にされたような気がする。 叔母が「今の時代だったら損をする」と言った。真意が分からなかったが「年金をもらうのが1年遅れるから」と続けてやっと分かった。ほんわかとした明治の空気から一気に平成に戻された。明治も大正も戦前も知らないが、時代の進歩と共に世知辛くなっていることは確かだ。貧しくとも楽しくなんて軽業師のようには生きていけない。