勇み足

 数日前の朝、何人かの人が「蝉が今日から鳴き出した」と話した。その日は一気に気温が上がって、太陽が満開で夏本番の幕開けのような日だった。蝉もそれを感じたのだろう、暑さを呼んでくるようにけたたましく鳴き続けた。 ところが流氷初日ではないが、その日を境に・・・ではなく、その日だけで泣き声が消えた。蝉が何故鳴くのか知らないように、何故鳴かないのかも分からない。太陽の光りが容赦なく降り注ぎ、空気を燃やし、気温を上昇させれば鳴くのか。この数日そのどの要素も満たされていない。  蝉にも勇み足というものがあるのだろうか。それとも自然にちょっといたずらをされたのか、それとも懐に入るべき自然がちょっとリズムを狂わせているのか。息をひそめている蝉では格好にならない。出来ればうるさいほど鳴かせてあげたい。田舎は夏の勢いを蝉の鳴き声で計るのだからちょっとくらい大目に見る。  だが、蝉の勇み足くらい可愛いものだ。夏が少しばかりお預けになるだけだから、体温を過度に蓄えないようによだれを垂らして待っていればいい。ところが人間の場合は違う。過去にはえらい人の勇み足で庶民が鬼にもなった。現代では勇み足の連続で落ちていく人に歯止めがかからなくなった。抜き足、差し足もだめ、勇み足もだめ。やはり足はどっしりと踏みとどまるべきものでなければ。