ラッパ

 音程のはずれたラッパの音は、遠慮がちに吹いてた季節から解放されて、校舎を越え、道路を越えて夏の太陽の光と共に、汗ばんだ働き人のTシャツの上に落ちてくる。低学年が高学年に追いつく音か、秋の運動会にお披露目する音か、とくに低音が空腹のお腹に共鳴する。あれはトロンボーンの音か、はたまた芽生えの音か。 授業がない校舎にはラッパの音がよく似合う。部活動のためだけに登校している中学生の、短パン姿の自転車漕ぎでさえ楽しげに見える。学生の本分こそが恐らく最大のストレスなのだ。大人の本分の仕事こそが最大のストレスのように。愛情に溢れるべき家庭こそが、実は愛が枯渇した最大のストレスのように。  夏のラッパは解放の音だ。町を鈍器で砕く青春前期の音に誰も文句を言わない。旋律もないのに、リズムもないのに雄叫びなのに。夏のラッパは蝉呼ぶ音だ。緞帳の前で躊躇っていた命が歓喜する。