あがた森魚

 多くの力を与えられている人達の集団に向かって、又ここに帰って頂くのが願いなどと言うお涙頂戴の下手な芝居を見た。ここに帰って、又思いっきり居心地の良さを楽しみたいのだろう。その居心地の良さは、生き心地の悪さを味わわされている人達のため息の代償だ。  精一杯なのに池に水は満たない。雨も避けて降る。モグラが巣くい堤防も穴だらけ。干上がった湖底から町役場の亡霊が顔を出す。毎度おなじみの光景は、最早人の心を打つこともなく、一人芝居の幕引きもなく、肉体をそして精神までも枯渇させる。  湖底に湧く水もなく、山からおこぼれも届かない。水を蓄えることも出来なければ魚は泳がないし獣は近寄らない。鳥でさえ素通りだ。孤立は池から池を奪い池と呼ばれることもなく、人格のない孤独を強いる。人様の役に立とうとそこにいるが、そこには人も近づかず笑顔を忘れた枯れ草が草笛になることもなく直立する。枯れてまで生一本とはなんて過酷なことだ。大根役者は溢れんばかりのおひねりをもらい今夜も緞帳の中で飲めや歌えの大騒ぎ。泣けば1食食えるのか、泣けば布団で寝れるのか。お涙頂戴ありがとう。あがた森魚