新陳代謝

 丁度僕が応対中に電話で相談の依頼があった。電話を受けた妻は娘に替わった。僕はコーヒーを飲んだりしながら常連の人の話を聞いて漢方薬を作ったりしていた。結構長い時間、電話で話しているなと感じていたが、常連の方が帰ってもまだ話していた。細切れに聞こえてくる感じでは、立っていると意識を失い、救急車で運ばれるようなことがあったのだが、原因が分からなく病院でも治療をしてくれない?と言うような内容だった。僕の用事が済んだことは娘は分かったはずだが、電話を最後まで僕に代わらなかった。ハイとか、なるほどとか、それは素晴らしいではないですかなどと、およそ聞き役に徹しながら、容態を探っていたのだと思う。1時間くらい経過して電話を切ってから、症状をまとめ処方を決めていたが、およそ僕の考えと一致していた。 日常の風邪や皮膚病はもう自分で対処出来るが、このような難しい相談を自分一人で完結したのは初めてだ。帰ってきて2年近くを要した。僕が書きためている処方集を見ればどんな病気にどんな漢方薬を使うかは簡単に分かる。ただし、どんな病気かを患者さんの話や様子から掴めるかが問題なのだ。問診のテクニックとそこから推理する能力が大切なのだ。それは唯一経験によって解決するものなのだろうが、経験を積む期間を患者さんが猶予してくれるわけではない。今日の痛みは今日取れなければならないのだから。帰ってから2年間、調剤をしながら僕の応対を傍で見ていて、身につけたものもあるのだろう。妻が「お父さんの話し方に似ていた」と評したが、それは単なるスタート時点でしかない。僕を乗り越え、僕がお手伝いできなかったような症状の方もお役に立てれるようになって欲しい。僕のコピーでは意味がないのだ。僕が漢方の道に入ったよりも10年も早く漢方の勉強を始めたこと、毎月4回修行に出ていること、兄の現代医学の知識などとの連携等、有利な条件を生かして人の役に立って欲しいと思う。  僕と入れ替わりになるような形で20年前研究会を辞めた先輩薬剤師が、この春薬局を閉じた。僕と共通の仲間が2人いて、不幸にもその2人ともが若くしてこの数年の間に亡くなった。薬局経営の面においても良く知恵を借りていたらしい。良き相談者を亡くし患者さんも減っていたのかも知れない。ごく普通の経済力の人が、漢方薬でしか改善しない症状を治してもらえるごく普通の昔ながらの薬局が又一つ消えた。 足を踏みいれた者がいて、退場した者がいて新陳代謝は終わることなく繰り返される。