首切り

 何かが欲しいという年齢でもないので、そんなに力んで暮らす必要はない。淡々と暮らし、せめて腰と首が痛まなければ儲けものと言ったところだ。早く得たものと与えたものが逆転して、少しは社会のために役立ちたいと思うのだが、まだまだ得たものの方が圧倒的に多い。  今年も東南アジア系の人達からとても親切にしてもらった。特に若い人達に。言葉は通訳を介しないと通じないが、分け隔て無く接することが出来る唯一の長所が認められたのか優しい言葉や態度を返してくれる。人と接する上で参考になることが多い。嘗て日本人も持っていた習慣を、彼らの中に見つける。今や何十組に1組が、外国人と日本人の婚姻だという。そのうち民族が混ざり合い、国境が無くなる日も来るだろう。もう心の中の国境などかなりの人が取り去っているのではないかと思う。年の瀬に戦争を始めた国がある。象と蟻ほど違うもの同志が戦う。強いものが正義、弱いものが悪なら、弱いものは永遠に浮かばれない。戦場はこの国の至る所にも広がっている。戦車や戦闘機で戦わなくても、至る所で戦いが始まっている。そして負けるのはいつも弱者。時代劇でもあるまいし、首切りなどと言う、人を見下げた言葉が日常に溢れる。一瞬外に出ただけで、衣服が凍るような日に、屋根も布団もないなんて死と隣り合わせだ。年の暮れどころか人生の暮れにもなりかねない。  見下げる必要もない、見上げる必要もない。ただまっすぐみんなが前を向いて歩ければいいのだ。人は空の中にもいないし、海の中にもいない。所詮群れて大地の上を2本足で歩く動物なのだ。それも高々何十年か生きているだけの。