感激

 ある病院で献身的な看護が評価されている女性は、自身が数年前ある精神的な病気で患者の立場だった。医師は将来現場には復帰できないと診断していたそうだ。ほとんどベッドの上で過ごしていたらしいから。ところがその女性にあるときから新しく年配の看護師が担当になった。その看護師は彼女をまるで娘のように抱いたそうだ。それから彼女は完全に克服して、自分が味わった苦しみを糧にして評判の看護師になったらしい。復帰した彼女が回顧している中で、初めて我が子のように抱きしめられたとき、心が重荷から解放され始めたことを感じたそうだ。そしてそれ以後は、どんどん心の重荷が無くなり、嘗てのような自由な心になったそうだ。  そもそも心の苦しみを薬で何とかしようと言う方が間違っているというか、それ自身が不自然だ。愛され、大切にされ尊敬されれば、どんな名医や薬よりよく効くのではないかと、素朴に思ってしまう。大切にされて心が乱れることはない。愛されて心が折れることもない。誰もが必ず持っている大いなる長所を、素直に感じて素直に驚いて素直に表現さえすれば、言葉で傷つけることはない。舌足らずも、感情表現なら十分だ。難解な言葉はいらない。感嘆詞の連続でいいのだ。僕に、私に持っていないものを必ず他者は一杯持っている。これしかできないと言うくらい僕は無芸だから、単純に感激してしまう。「すげえ、すげえ」と年に似合わない言葉しか出てこない。だけど、それで十分分かってもらえるのではないか。みんな、僕より「すげえ」のだから。  食べるもの、着るもの、履く物、観るもの、聴くもの。何一つ他者の力無くして出来ない。身の回りのこんなに便利なものを手に入れれるようにしてくれているのは、とりもなおさず、身体も心も病みかけの大衆なのだ。完全に正常であるなんてあり得ない。そんな人がいたら余程幸運だ。お互いが「すげえ、すげえ」と感激し合えば、傷つけ傷つけられることはなくなる。みんなでお互いに気持ち良くし合わなければ社会が持たないところまで来ている。金も地位もないから、僕は感激屋で小さな貢献をさせてもらう。